『肉食は新しい南北問題になるのか』
GAP普及ニュース69号(2022/03)掲載
二宮正士
一般社団法人日本生産者GAP協会常務理事
東京大学大学院農学生命科学研究科 特任教授
SDGsとGAP(持続可能な農業)
「みどりの食料システム戦略(2021年5月,日本),「Farm to Fork戦略(2020年5月,EU)」,「農業イノベーションアジェンダ(2020年2月,米国)など,これからの食料システムに関する大きな政策が,ここ数年立て続けに公表されています.いずれも,安全で健康な食を十分供給可能で,かつ持続的な食料システムをめざすものです.ここで言う「持続的な食料システム」は,地球環境の持続性だけでなく,SDGsに掲げられるような人間社会と地球環境の両方の持続性を意味します.実際,グテーレス事務総長の提案で2021年秋に開催された国連食糧サミットでも,SDGs17目標の2030年達成に向けた食料システムが,さまざまな視点で議論されました.20世紀後半から長期にわたりさまざまな視点で問題視されてきた人類の大課題のひとつがやっと公式に体系化され,遅まきながら動き出しました.GAPは,食料システムの重要な一翼である農業生産現場においてこの問題解決のための規範として早くから提起され実践されてきましたが,あらためてこの問題解決の体系の中で意識し位置づけられる必要があります.
環境負荷が大きい食肉生産
さて、食料システムの持続性が国際的な舞台で議論される時に,必ずと言って良いほど出てくるのが肉食によって引き起こされる環境負荷の大きさに関わる課題です.上であげたような国家レベルの政策では,現存する産業や個人の嗜好を意識してのことか,強調されてはいませんし,日本で大きな話題にはなりにくいようです.ここでは詳細は述べませんが,全温室効果ガス排出源の4分の1を占めるという農業起源排出の内,畜産がその半分を排出していること,家畜排泄物による環境負荷,多用している抗生物質の環境への暴露などに加え,水・土地・エネルギーといった資源利用という観点で極めて非効率な肉類生産が,やり玉に挙がります.最も効率が悪いと言われる肉牛では,肉1キロの生産に10~20キロの飼料を必要としています.西尾の報告(http://lib.ruralnet.or.jp/nisio/?p=2979)によれば,食用作物として生産されている農作物の内,人間が直接食べているのはカロリー換算で55%に過ぎず,36%は飼料(残りの9%はバイオマスエネルギー利用など)で利用されているとのことです.日本人にとってなじみの深いダイズですが,世界生産量の1割のみが食用として使われています.そのこともあって,上記の西尾の報告は,食用作物として生産される作物の含むタンパク質換算で53%が飼料として利用されているとしています.言うまでも無くダイズが高タンパク質食品だからです.さらに悪いことには,せっかく摂取した窒素の相当部分は環境に排泄されています.結果として,人間が取得するカロリー当たりの生産に必要な水や土地,投入エネルギーの利用効率も食料生産システムとして最悪です.
爆発的に増える肉類消費
もっとも,牛に代表される反すう動物は,微生物の力を借りて,人間は全く活用できないセルロースをエネルギー源に変え,草の中のタンパク質を高品質に変えるものすごいシステムで,人間との食料との競合さえなければ理想的にも見えます.しかし,人類の肉類の消費が爆発的に増えてしまい,温室効果ガスや窒素の環境への排出,必要な土地や水など許容量を遙かに超えてしまっているのが現状です.図1は,過去60年間の全世界の食肉供給量と人口の伸びを,1961年比で示したものです.人口が概ね2.5倍に増えたのに対し,食肉供給は4.7倍に増えています.人口増による増加だけでなく,生産効率の悪く環境負荷の高い食物の一人当たり消費も増えてしまったわけです.図2はいくつかの国別の食肉供給量の変化を示しています.人口が多いことにもよりますが,中国は既に30年前に米国を抜きました.この図で一団となっていて見にくいので,生産量が相対的に低い4カ国を抜き出したのが図3です.食肉供給量について,英国やドイツなどは60年間に約1.5倍,米国は2.5倍,インドは4倍,日本は9倍,中国は実に41倍に増えました.ちなみにドイツは1988年の1.7倍をピークに漸減傾向にあるようにも見えます.
図4は,それらの国々の一人当たり供給量を示したものです.米国の絶対値は高く,英国やドイツがそれに続きますが,60年間にいずれも1.2~1.4程度の増加に留まっています.一方,日本は6.6倍,中国にいたっては18.8倍です.これは,経済成長に伴い,穀物への摂取エネルギー依存割合が低下する一方,動物性食品への依存が増加する食遷移と呼ばれる現象がおきた結果です(http://www.a.u-tokyo.ac.jp/pr-yayoi/48.pdf).もともと狩猟民族で肉食中心だった人類が,豊かになることで肉類が買えるようになれば,そちらに回帰するという説明もありますが,真偽はわかりません.どちらにしても,現在も引き続く多くの途上国の急速な経済成長で,日本や中国でおきたような食遷移がおきていることになります.結果として,95~100億人まで増加すると予想される人口増と食遷移の相互作用で食料不足が加速されると予想されている訳です.ちなみに,ベジタリアンがごく普通であるインドでは,急速な経済成長の中でも1.3倍程度の増加に留まっています.近い将来に,世界最大人口国になると言われるインドの現状は,問題の緩和に多少は貢献しているとも言えます.
肉食に関する南北の事情
以上のように,このまま肉食をやりたいように続けていては危機的で,何かしらの国際的枠組みによる制約が無いとまずいのではないかという危惧が生じます.それが,本文タイトルの「肉食に関する南北問題」という心配につながるわけです.COP等で議論された炭酸ガス排出に関する南北問題の中核は,「これまでさんざん排出して経済発展してきた先進国が,途上国にも排出制限をかけるのはフェアでは無い」ということですが,同じ議論が肉食についても起きそうというのは単なる余分な心配でしょうか.ここ2年は訪問できていませんが,中国の肉食ブームは大変な勢いでした.しかも,従来の豚肉などに比べて下位にあった牛肉の消費が急速に伸びているようです.中国の一人当たり食肉消費量は,日本を既に20年前に抜きましたが,その後20年間日本の伸びが鈍化しているのに対して,中国はまだ米国の半分とは言え上昇中です.それに呼応して,中国のダイズ輸入量も膨大です.過去60年で,ダイズの世界生産量は,耕作面積で5倍強,生産量で13倍になりました.ブラジルやアルゼンチンなど1970年頃まではほとんど生産の無かった南米での大増産がそれを支えてきました.実は,当時輸入ダイズ供給不安に遭遇した日本の技術支援が,南米でのダイズ作開拓に大きく貢献しましたが,現在南米による新規ダイズ供給分のほとんどが中国に買われている現状があります.既に日本の買い負けもおきるなど,肉食の急激な増大は,そのような形で日本を含む世界の食の安全保障にまで影響を及ぼしていることにもなります.
人工肉とベジタリアンは問題解決になるか
さて,肉食に関わる国際制度などできて欲しくないわけですが,明るい話題が無いわけではありません.一つは人工肉です.この数年で植物由来の疑似肉や動物細胞培養による「本物の肉」に関する技術開発が一気に進みました.どれも,現在の肉食がもたらす結果を危惧したベンチャーがリードした活動です.米国のインポッシブルバーガーはヘモグロビンによる血の味まで植物由来で再現し本物と区別が難しいと言われ大きな話題になりました.そこまで行かなくても,欧米の多くのハンバーガーチェーンでは植物由来肉を使った商品を用意するのが常識になりました.ちなみに,それらの原料はダイズに代表される豆類が主役のひとつです.もう一つは,ベジタリアンの増大です.とくに欧州は顕著な印象があります.私がおつきあいするのは主に研究者なので偏っているかも知れませんが,ドイツやオランダの研究仲間は,相当高い頻度でベジタリアンであり,完全菜食のビーガンも珍しくありません.図4で示した,ドイツにおける肉消費の漸減はその結果かもと思います.大和総研のレポート(https://www.dir.co.jp/report/research/economics/japan/20210203_022067.html)※にもあるように,多くの皆さんは肉食による環境負荷を菜食への転向理由として語ります.ただ,このような動きがどこまで広がれば,本稿で述べたような問題解決への道筋になるのか全く見通せないのが現状です.「肉の時代」とかいいながら,タレントが高級ステーキをはしゃいで食べている番組を見て,非常に複雑な気持ちになります.ちなみに,私自身は,歳のせいもありなんでも肉食という気分にはなりませんが,ベジタリアンではありません。
※同レポートで,インドでは28%がベジタリアンとありますが,プロジェクト等で10年以上インドの皆さんとかなり濃密に交流してきた印象は,少なくとも研究者や大学生といったエリート層では,それより遙かに高いと感じている.
GAP普及ニュースNo.69 2022/03