-日本に相応しいGAP規範の構築とGAP普及のために-

『GAP普及ニュース 巻頭言集』

 普及ニュースに掲載された、有識者による巻頭言。

『私の働き方改革』

GAP普及ニュース63号(2020/7)掲載

二宮正士
一般社団法人日本生産者GAP協会 常務理事

 ちょうど「全国緊急事態宣言」が解除され、私自身の自宅テレワークも3ヵ月半になろうとしています。この間、私は、ほぼ安全な場所に巣ごもりしていたことになりますが、闘病されている方々を案じ、医療関係者や社会インフラを支えて下さっている多くの皆さんに感謝する一方、不安定な雇用や休業要請による経済的困窮、様々な社会的弱者の存在や差別、誹謗中傷、夢を奪われる若者、コロナ患者を受け入れるほど病院経営が悪化するなど、社会的な矛盾や理不尽さがあとからあとからコロナ危機で際立ってくるのを見聞きして、心安らかにはなれません。 データ的にもかなり感染が深刻に見えてきた3月になっても、「こうなって欲しい」に基づく科学的根拠のない「感染の過小評価」と思える発言が国の中枢に近い筋からしばしば聞かれたのも気になりました。その後、大分改善されたようにも思いますが、最近になっても観念論的発言をされるリーダがいます。

  ちょっと話は違いますが、知合いが自分の子供をシートベルトもせず、しかも立たせて助手席に乗車させていたのを見て、「危ないのでは」と相当やんわり忠告したときの返答が、「いや、大丈夫」だったことを思い出しました。考えてみれば、根拠無く「どうにかなる」と思い込み、なるべく論理的にリスクを減らそうという感覚の欠除は、そこら中に蔓延しているのだと思います。GAPがなかなか普及しないのは、「農業の持続性」への理解の欠除に加え、まさにこれではないでしょうか。英語やプログラミング以前に、リスクマネージメントの考え方を子供に分かるように教えるのが先ではないでしょうか。災害や病害はもとより、何があるかわからない時代に、自らを、論理的に筋道をたてて守る知識や判断力が最も重要に思えます。最近はさすがに減ってきたのかもしれませんが、「根性」のような精神論や観念論には辟易とします。

  さて、私は3年前に常勤の職は退きましたが、その後幾つかの海外研究プロジェクトへの参加や海外の大学の教員も兼ねていることもあり、年に40%は海外にでていました。その生活が新型コロナで一変しました。国内のプロジェクト会議や省庁の委員会なども3月下旬以降、全てキャンセルになり、いわゆるテレワークになりました。ただ、最近、圃場に出て自ら作業し、データを採ることが非常に少なくなっていることもありますが、多くの仕事がオンラインで出来てしまっています。テレワーク化できない仕事は世の中に数多くあると思いますが、今の私の立場では、影響は相当小さいことを改めて実感しています。海外の大学院生をオンラインで指導していますが、概ね目的は果たせていますし、3月に予定され、急遽キャンセルになったインドでのプロジェクト会議や、国内のプロジェクトの打合せなども、オンラインで目的は十分果たせています。

  東大でも、全講義が4月の学期当初からオンライン化し、学生も教員も自宅から実施していますが、概ね順調のようです。私の米国の友人教授は、「反転授業(Flipped Class Room、授業はオンデマンドで好きなときに、宿題や実習は大学の教室で実施)」の推進者で、その教育効果が極めて高いことをデータ示しています。これを機会に、大学に行けるようになっても、一部は「反転授業」としてオンライン講義を恒常化して欲しいとさえ思っています。私の大学のオフィスは西東京市にある東大農場にあり、現役中は、学内の会議や講義のために本郷・弥生地区に往復2時間かけて、週に何度も往復しました。中には15分で終わる会議もありました。当時、何度もお願いして実現しなかった学内会議のオンライン化が瞬く間に実現したのを見て、やや複雑な心境でもあります。

  テレワークになって何よりも感じるのは、出張や出勤など移動時間が無いことでもたらされる生活時間の余裕です。時間があったので、便名と日時を入力すると、飛行距離・時間、温暖化ガス排出量などを計算してくれる専用サイトで、過去3年間分のデータを入れてみたところ、800時間以上ありました。一ヵ月以上機上にいたことになります。温暖化ガス排出の飛び恥も半端ではありません。新幹線、通勤、都内の移動、空港との往復など、全部合わせるとどれだけになるのか.もちろん移動時間中に何も出来ない分けではありませんし、物理的に訪問することで得られる人との出会いや、食や文化の経験は何ものにも代え難いことは間違いありませんが、あまりにバランスを逸していたと今頃気がつきました。この間、積んであった本や、たまっていたドキュメンタリー録画などを読み視聴する余裕もでました。世界中のバーチャル美術館を訪問してアートを堪能し、YouTubeに豊富にある無料コンテンツで新しい言語にも挑戦中です。遂には、10数年ぶりにプログラミングも始めています。久しぶりに味わう「ゆったり感」に、まさに私にも突然働き方改革が実現されました。

  それにしても、日本のIT化の立ち後れを改めて認識させられる機会にもなりました。「IT立国」のかけ声は何度も聞いた気がしますが、キーボードに触ったことが無いセキュリティー大臣や、電子署名が法律的に大丈夫な今も、就任の第一声が「印鑑擁護」のIT大臣など、いかにも本気では無い状況のつけが一気に露見しました。感染情報の伝達に今もってFAXが多用されているなど、驚きの連続でした。極めつけは、特別給付金の申請で、オンラインの方が手間がかかり、自治体によっては全部郵送に切り替えたことでしょう。まるでオンライン申請者の不手際が原因にように言われていますが、本来はマイナンバーカードをかざすだけで全て終わるシステムになっていないことが問題です。情報の保護体制などマイナンバー制度に解決すべき課題はありますが、本気でそのメリットを活かそうとせず、一方で法人に給与等支払のためのマイナンバーの登録を、使いもしないのに義務化するなど、手間ばかり増やしてきた残念な結果です。

  小中学校や高校のIT化の遅れや格差もここまで酷いとは思いませんでした。これを機会にオンライン授業を実現しようしても、子供達への不平等を理由に止められたというような話があったようですが、環境を用意できない子供達には行政が責任を持ってサポートし、教育の質と量を担保して欲しかったです。想像するに、「不平等云々」以前に、教育関係者の「ITリテラシー」〈用語解説参照〉が低く、右往左往してしまったのかもしれません。一方、有名なYouTuberの人気塾講師にノウハウを教わり、教育効果のあるコンテンツの作成を試みた先生方の話を聞いたときはうれしくなりました。実は私も、高校数学の難題「オイラーの公式」を、中学生の知識から完全に証明するYouTuberのシリーズに出会い、その教え方の上手さに感動しました。分からなければ話を止めて戻れるし、教室で習うより遙かに効率的で判り易いものです。先の「反転授業」など、オンライン講義が非常事態の代替ではなく、もっと積極的に教育に取り込むべきであることを実感しています。

  官公庁にも対応に差があり、3月以来、すぐオンライン会議を実施できたところもあれば、メール会議と称する議論が非常にしにくい方式のところもありました。オンライン会議で全く問題ありませんでしたし、議論の対象になっている情報をPC画面表示してもらえるので、分厚い資料を探す手間も無く、判り易いくらいでした。官公庁の委員会メンバーになると、場合よっては事前説明ということで、わざわざオフィスまで来ていただくこともありますが、今後はオンラインで十分な気もします。もちろん外に出て気分転換という意味もあるのかもしれませんが・・・。ちなみに、官公庁のテレワーク率も自ら要請している割には低かったようです。聞くところによると、各庁舎への回線容量が低く、テレワークによる外部からのサーバーへのアクセス集中が担保できないのが一つの理由と聞き、これまた残念でした。数年前に公表された「デジタル・ガバメント実行計画」で、民間クラウドを利用することになっていた気がしますが、いまだに管理が面倒で、場合によってはセキュリティー上も脆弱な自前サーバーであることを知りました。

  2000年頃だったと思いますが、国を挙げて凄い勢いでIT化を進める韓国や中国を横目で見て、「カンチューハイ(韓中敗)」と仲間と残念がったことがありますが、今回のコロナ対策でも、明らかにIT化の差による対応の迅速性・効率性の違いが顕著だったと思います。もちろん、トップダウンの統制的な国と単純な比較はできませんが、同じようにIT化の意義を十分に理解して政策を進めてきた台湾の対策も見事でした。世界のIT化による急速な社会変革の時期と、日本の失われた30年がちょうど一致しています。日本のIT化の遅れが、世界の流れに乗り遅れ、置いてきぼりをくったのも一つの原因に思えます。日本の労働生産性が低いと言われる一因もそうでしょう。

  宅急便やコンビニなど、我々がもはやそれ無しでは暮らせないサービスも、IT無しでは成立しないものであり、ある意味で日本はもともと先行していたとも言えます。ハードやネット環境も遅れてはいません。ではなぜか立ち遅れてしまったかという問いに、私は明快な答えは持っていません。ひとつ言えることは、ハード信仰とソフトウエアの軽視、とりわけ使えるデータがなく、データ間の連携もとてもしにくい現状や、インターネットを軸にした分散型でフラットな社会の利点への無理解、クラウドを活用できず自前主義による高コスト、必要なものはできるだけシェアして効率化し、一方で独自性は担保して付加価値を創出するという、本来のオープン化の意味への誤解など、理由はいろいろあるでしょう。 例えば、世界を席巻しているシェアエコノミーというITを基盤とした新しい経済やキャッシュレス社会についても、すっかり出遅れてしまいました。背景にあるのは、新しいもの、知らないものを取り入れたくない元来の保守性に加え、「ITリテラシー」の低い方に、全てを合わせようとする「やさしさ」もあるのかなとも思っています。

 今、盛んにアフターコロナが語られています。おおよそ予想もしていなかったことが、しかも世界で同時に起きたことの衝撃は強烈です。今回経験したテレワークを背景に、いろいろ述べてみました。テレワークや情報伝達の効率化、データベースの連携など、これまで日本ではなかなか実現できなかったイノベーションを、致し方なく始めざるをえない事態になりました。様々なしがらみの中で、大きな社会変革は難しいと言われる日本が、今回の危機の中、やっとそのきっかけを掴んだのかな?「いや掴んで欲しい!」と、この間の経験を通して考えるようになっています。実際の報道などを聞いていると、同じような発言が目立ちますので、多くの皆さんが同様に感じているかも知れません。今後の日本に期待したいと思います。

GAP普及ニュースNo.63 2020/7