『標準化-食のビジネス・エコシステムに向けて』
GAP普及ニュース54号(2017/7)掲載
二宮正士
東京大学農学生命科学研究科
今、ビジネスや研究の世界では、データに関わる「標準化」の議論が盛んです。標準化は、何もデータだけの話ではありません。最も典型的な例は、私達の使っている「言語」であり、言語があるからこそ、私達は他の人と意思疎通をすることができます。スーパーで売られている食品用のパッケージには、決められた形式に沿った品質表示があるからこそ、記述の範囲ではありますが、その内容を客観的に知ることができます。これも標準化の例です。いまさら当たり前ですが、「標準化」は社会における情報の流通を加速し、客観性や説明力を向上することにより相互の理解や信頼を確立するとともに、効率化やコストダウンを図るための基盤ということになるわけです。
そのような視点で見れば、『GAP規範』も持続的農業生産を実現するためのリスク管理の作法を共通的に認識できるように記述した「標準」そのものであり、環境保全、食の安全、労働安全、動物福祉の担保に関して、相互に信頼性を共有するための共通言語と見ることができます。食の生産・流通・加工・消費が相互に関連し合う食のビジネス・エコシステム(以下、「食のエコシステム」という)を考える時、必要になるのはGAPやHACCPといったリスク管理に関わる「標準」があり、そればかりではなく、トレーサビリティに代表されるデータの共有とデータの流通に関わるものなど、様々な領域や階層での標準化が、その実現に必須になります。
ドイツで提唱された「インダストリー4.0」は、従来の大規模化による効率化ではなく、小規模で分散するビジネスユニットを、必要に応じて臨機応変に組み合わせて、大規模化をも凌駕する効率化をはかろうとする考えです。そこでは、大規模化では不可能だったオンデマンド型でパーソナライズされた製品やサービスをタイムリーに提供することを目指しています。私は、一部の流通やメーカーを除いて、多くは小規模な食関連プレヤーにとって、日本での「食のエコシステム」の確立に、「インダストリー4.0」はまさにぴったりであると思っています。
また、日本の多様で豊かな地域食材とそれにともなう多様な文化を将来にわたり支えるためにも、「インダストリー4.0」の発想はもってこいです。それを可能にするのは、IoTやクラウド、AIといった情報技術ですが、その実現には基盤としての様々な標準化が絶対的に必須です。
現在、国の高度情報通信ネットワーク社会推進戦略本部(ITの総合戦略本部)の主導で、様々な標準化の議論が行われています。農業関係でも、総務省や農水省が環境データや圃場データを標準化するためのガイドラインが公表されました。そのような動きは歓迎すべきですが、そのような動きの中で、とても気になるのが、「標準のガラパゴス化」です。グローバル化で世界がつながる中で、日本だけの標準化はあり得ません。上記のガイドラインに限っても、標準化の恩恵を受けるべきセンサーメーカーや温室メーカー、機械メーカー、農業ソフトメーカー、商社などが、限りある日本のマーケットから世界に出て行くために、「ローカルな標準化」ではとても困るはずです。
米国に始まり世界にメンバーが広がりつつある民間団体AgGateway(http://www.aggateway.org/)は、全く逆のプロセスで農業に関わるデータ流通の効率化を図ろうとしています。AgGatewayは、データの流通を図りたいメンバー(企業)の間を繋ぎ、それにより効率化できると判断したメンバーは、とりあえず必要なものをボトムアップで実装してくという極めて現実的な方法をとっています。このようなボトムアップのやり方では、企業ドメイン毎の部分的標準化が進んでしまい、目指す「食のエコシステム」を実現する障害になるという意見も理解できないことではありません。また、トップダウンの大きなデザインを否定するものではありません。
しかし、本当に使える実装を考えれば、現実的なのはボトムアップによるアプローチしかないように思えますし、複数の標準をシームレス化する作業の方が、最初から全てをトップダウンで設計するより効率が良いと思います。
AgGatewayの例では、使えるものは何でも利用しようとする柔軟さを持っており、日本でガイドライン化されている標準でも受け入れられる可能性もあります。そうして貰うためには、もともと世界を意識した標準化のガイドラインである必要がありますし、常にそれを世界に説明する努力が必要になります。
欧州でビジネス・エコシステムの基盤構築をめざすFIspace(https://www.fispace.eu/)プロジェクトもEU政府主導で始まりましたが、AgGatewayのメンバーになり、現実的なすりあわせを行おうとしているようです。 ビデオの「ベータ」やコンピュータのTRON、最近では携帯電話のいわゆる「ガラケー」のように、最良と信じる技術が、常に世界の標準になるわけではありません。2020年の東京オリ・パラでの食材問題のように、世界標準を忘れたガラパゴス化で、最後に困るのは自分達です.当たり前のことですが、標準化の議論でも、世界で認められ、生き延びるためには、これまでの経験に大いに学ぶ必要があります。
GAP普及ニュースNo.54 2017/7