-日本に相応しいGAP規範の構築とGAP普及のために-

『GAP普及ニュース 巻頭言集』

 普及ニュースに掲載された、有識者による巻頭言。

『地球の農業を守り、日本の農業を守り、我が家の農業を守るためにGAPをどのように位置づければよいか』
-オリンピックと輸出問題で考える-

GAP普及ニュース50号(2016/8)掲載

田上隆一
一般社団法人日本生産者GAP協会 理事長

2020東京大会で2012ロンドン大会に学ぶことの意味

 東京オリンピック・パラリンピックの立候補ファイルには「大会の全ての面において"持続可能なレガシー"の社会全体への浸透に努め、"国際規格ISO 20121"に基づいて持続可能な社会、環境、経済の実現に向けた取組みを進める」と記述され、東京大会招致委員会はロンドン大会に学ぶことを宣言しています。ISO 20121は、「世界で最も持続可能な大会」と言われたロンドン大会の開催のために作られた「BS(ブリティッシュ・スタンダード)8901」がISO規格になったものです。

  2020年東京大会の「国際規格」として、環境にやさしい製品とサービスの調達のための厳格な基準とそのガイドラインを作成することが決められ、東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会は、2016年1月29日に、「持続可能性に配慮した運営計画フレームワーク」「持続可能性に配慮した調達コード 基本原則」を発表しました。それは、原材料調達・製造・流通・使用・廃棄に至るライフサイクル全体を通じて、環境負荷の最小化を図るとともに、人権・労働等の社会問題などへも配慮された物品・サービス等を調達するというものです。組織委員会では、今後、様々なアイデアや意見・情報を聞きながら検討を進めるとしており、農業分野に関しては、食の原材料調達に関わるGAPの国際規格の認証について様々な議論が起こっています。

  GAP概念の誕生には、英国政府が深く関わってきました。筆者もGAPとの出会いは英国からでした。英国に農産物を輸出していた日本の農業者が、卸売会社から民間のGAP認証を求められたので、まずは英国のGAP事情の調査に出かけたのです。EU共通農業政策のクロスコンプライアンスで農業所得補償の支払い対象であるGAP(適正農業管理)は、そもそも、農業由来の環境汚染に対する、農業者自身によるリスク管理であり、そのための農業慣習の見直しの活動です。英国のGAP普及キャンペーンでは「農業分野の悪い習慣を止めよう」と言っていました。

  英国ではそれとは別に、1990年代に発生したBSEやサルモネラ菌などによる食中毒事件により、生産から消費に至る農産物食品の安全性確保が社会問題となり、スーパーマーケットなど食品取扱事業者から農業者までも衛生管理やHACCPによる自己管理プログラムの実施が求められることになりました。

  「ロンドン大会に学ぶ」ためには、英国の特徴である農業分野での「持続可能性に向けた環境保全への取組み」としてGAP政策が登場したことを知る必要があります。また、EUでは、食品安全の自己管理プログラム(HACCPなど)を法律で義務付けられた食品事業者が、原料農産物を調達する農業者に食品衛生管理を求めたことからGAP認証制度が誕生したことも重要です。

  そうなった背景には、硝酸態窒素による水質汚染で水道水源の危険性が市民に認識されたことや、深刻な食中毒事件に対して、市民の環境問題や食品安全に対する認識が高くなり、それらに応える法令や行政政策が比較的早く整備されたという英国の事情があると考えられます。また、自然資源や自然環境に対しては、スチュワードシップの思想(用語解説参照)が根付いていることが挙げられます。そのため、補助金という見返りはあるものの、持続可能な農業としてのGAPが農業者の常識となり、また、食品安全の衛生管理プログラムが定着したものと思われます。

  これらの経過から、農業者の主体的組織である全国農民連合(NFU)が「レッドトラクター」というラベル表示制度を始めたのです。英国の国旗を配したレッドトラクターのマークは「環境保全に取り組む農業者」による「英国産の農産物」であり、「輸送会社」も、「屠畜場」も、「食品加工会社」も、レッドトラクター認証を取得し、「トレサビリティが保証」されたサプライチェーン上の農畜産物だけに貼付されているのです。しかも、農産物も畜産物も国内産の約80%が認証を取得するという高い普及率ですから、その意味で、今や世界に比類のない認証制度となっています。

  英国では、それ以上に、食品事業者のBRC(英国小売協会の食品安全基準)認証などが普及しており、EUのハイジーン・パッケージと言われる食品安全の法令によって全ての食品事業者がHACCP手順などによる自己管理体制をとることが義務付けられています。

  食品安全に係る多くの事件や事故を経験してきた英国だからこその取組みであると言えますが、リスクの状況としては基本的に変わらない日本においても、環境や食品に対するリスク認識を高め、対応策や必要な規制などについての国民的な合意を形成しなければならないと思います。したがって「ロンドンに学ぶ」と言っても、環境保全や食品安全の認証制度を国際規格にすれば済むというものではありません。農林水産省でも、東京大会に向けて英国のGAP普及状況を調査していますが、上記のような英国の事情を考慮すれば、単に「国際規格の認証制度」を作成することで、大会の持続可能性が達成されるわけではないことは明らかになると思います。

2008北京大会から学ぶこともある

 縁あって筆者は、2008北京大会での「オリンピック食品安全専門委員会2005年」に参加する機会を得ました。北京食品協会の李士靖会長は、「どうすればオリンピックの食品安全を確保できるか」という課題に対して、中国の現状は「生産は零細農家なのでコントロールできない。市場では、違法、偽造、成り済まし、不良・有毒食品が何度取り締まっても絶えない」と分析していました。そのため、北京大会では、①食品の安全は源から監視する必要がある。②政府主導の下に市場を運営する。③オリンピック用の食品は、産業化・近代化された許可業者だけで、農場から食卓までのサプライチェーンをつくることが必要であると提案しました。

  その結果、オリンピックでは、①食品の産地トレサビリティ(全ての原材料を対象に、バーコード、RFIDを使用し、ネットで集中DB管理する)システムを構築する。②食品国家標準化システム(大会の全ての食品で国際標準を採用する、そのために2年でChinaGAP認証を取得する)を導入する。③食品検査システム(検査機関を定めて全ての食品について農薬などを自己検査する)を導入する。④食品提供企業は認証・許可制(ISO9000、ISO14000、HACCP、QSマーク(生産許可)を必須)にする、ということになりました。

  「食品国家標準化システムChinaGAP」は、2005年12月に中国国家認証認可監督管理委員会(CNCA)が発表したGAPの農場認証制度であり、中国発の国際規格として農産物の輸出促進とオリンピックの食品安全確保を直近の目標として掲げました。そして2006年1月には人民大会堂に中国全土の農業者の代表を集めた「第一回中国農業経済産業高峰会(サミット)」で「農業産業化の方向」「オリンピックのための食品安全とGAP」「農村と都市の経済発展」をテーマに3日間の会議が開催されました。

  2006年4月には、ChinaGAPを国際規格にするため、GLOBALG.A.P.(当時はEUREPGAP)認証制度との同等性確認の申請をし、中国政府は補助金でChinaGAP導入プロジェクトを開始し、大会の2年前に286の農業企業を認定しました。ただ、GLOBALG.A.P.(青果物Ver.3)との同等性認証を取得できたのが2009年になりましたので、当初計画の2008北京オリンピックで中国発のGAP認証は叶わなかったということです。中国はその後、GAPの同等性確認は行っていません。

  中国におけるGAPへの取組みについては、英国及びEU加盟国や米国などの取組みと比較してみると、中国特有の視点が多く見受けられます。先ず、①国際的な民間認証制度に政府が介入してGAP認証制度を策定し、かつ政府が直接普及を推進したこと、②持続可能な農業の推進として誕生したGAP概念ではなく、民間の取引要件として食品安全を中心に据えたGAPによる農場認証であること。そのため、③農産物商品の差別化対策として最終商品にChinaGAPマークを貼付したこと。その結果、④農業現場では認証取得のためのGAP推進ばかりになったこと。さらには、⑤認証制度で最も重要な規格基準が二重基準(ダブルスタンダード)になったこと(国際規格に相当するのはChinaGAP+、国内向け規格はChinaGAP)。そのため、⑥すでに確立した国際規格の中で中国発のGAP国際規格をめざしても、国際規格にはならなかったこと。最後に、⑦二重基準の場合、上位の規格が「輸出用GAP規格」という位置づけの場合は、農産物の輸入奨励になることはあっても、「国内農産物を輸入農産物から守る力」には成りえない、即ち「自国の環境や消費者を輸入農産物から守る力にはならない」ということです。

2020東京大会の位置づけは

 筆者は、GAP及びGAP認証の視点で、北京大会とロンドン大会での取組みを見てきましたが、両大会においては、オリンピック・パラリンピック大会の開催目的が違っている、と思えるほど、農産物・食品における環境や食品安全についての取扱い方が異なっていました。GAPに関しては、ロンドンでは「守り(人や環境)」であるのに対し、北京では「攻め(経済発展)」という印象です。しかし、先に述べた①から⑦は、「攻め」という印象とは裏腹に、国内においても国際社会においても成功事例とは言えないものばかりです。私達は、北京オリンピックの上手くいかなかった事例からも多くを学ぶことができます。

 当面の課題である「2020年東京大会の開催」に当たって、また「2020年農産物食品の輸出拡大1兆円」に向かって、日本は何を目標とするのか、その先に「どこへ行こうとしているのか」について、私達の現在の位置は何処にいるのかを理解しながら、究極の目標である『持続可能な農業』を目指して実践していかなければならないと思います。

GAP普及ニュースNo.50 2016/8