『豊かな日本の食をさらに豊かに』
GAP普及ニュース48号(2016/3)掲載
二宮正士
一般社団法人日本生産者GAP協会 常務理事
東京大学教授・生態調和農学副機構長
和食がユネスコの無形文化遺産に登録され、増え続けるインバウンド観光客や2020年の東京オリンピック・パラリンピック開催に向けて、「日本の食でおもてなし」という機運が大いに高まっています。また、「日本の優れた農産物」の輸出拡大も日本農業を再生するひとつの要として、重点政策課題になっています。日本の食が世界に広がり出して相当長い年月が経ちますが、この数年間の広がりは驚異的なものといっても良いかもしれません。海外の地方の小都市でも日本食レストランは珍しくなくなり、スーパーでも日本食材が容易に手に入るようになっています。
近頃訪れたタイの地方都市のショッピングセンターにある12軒のレストランのうち、10軒が日本食のレストランでした。もちろん、中には本当に日本食なのか怪しい料理などもありますし、食材も日本産でないものがほとんどかと思いますが、日本食が広く世界に受け入れられていることは素直にうれしいことです。
ところで、われわれが信じていた「日本の優れた農産物」が世界に受け入れられるレベルに無いものがほとんどであるということが、ここ数年、指摘されるようになってきました。決して品質が悪いとか、安全性が低いとか、味がまずいといったことではありません。われわれは食べ物を評価するときに、当然のように安全で美味しいかどうかで評価しますが、世界標準では、まずその農産物をどのように生産したかというプロセスを評価するからです。
そのような評価方法が、2020年の東京オリンピック・パラリンピックでの食材提供に関して、特に顕著になってきました。オリンピック・パラリンピックは人類の平和と繁栄のための崇高な理念のもとでこれまで行われてきましたが、近年における開催では、とりわけ人類の持続的発展の実現が大きな目標になっています。そのため、オリンピック・パラリンピックで選手や関係者、観客などに提供される食に関しても、その理念を達成するためのプロセスを踏んでいることが求められているのです。これは、農産物の生産に関して言えば、「環境保全」、「食品安全」、「農家の安全と福祉」のための規範を掲げている「本来のGAP」の理念そのものなのですが、その世界標準のGAPを満たすような農産物が日本には非常に少ないというのが現実なのです。「日本の食でおもてなし」どころの話ではない重大な課題に直面しています。
そのような背景のもと、日本生産者GAP協会が今年2月に開催したGAPシンポジウムでも「2020年東京オリンピック・パラリンピックでの食材提供」をテーマに議論が行われました。日本においてもGAPが徐々に浸透してきましたが、未だに農薬の適正使用など、どちらかというと消費者から見た「食の安全の実現」に重点が置かれ、環境保全などの農業の持続性に関わる部分は軽視されてきた嫌いがあります。今回、ある意味、オリンピックという外圧的要因であったにせよ、「本来のGAP」の理念が、日本でも十分に理解される契機になればと心から思っています。
さて、冒頭の話に戻ります。私たち日本人は、世界でもまれな「豊かな食」として日本の食を誇りに思っていますが、ここで言う「豊かな食」とはどのような意味なのでしょうか。実は、戦後「豊かな食」は、むしろ「欧米化する食」の代名詞でした。お米を中心に野菜や海産物を中心とした食から、肉、卵、乳製品、油脂などを多用した食へ移ることでした。その結果、この半世紀で一人当たりのお米の消費量は半減しましたが、人々は十分な栄養を取ることができるようになり、子供達の体格も飛躍的に向上しました。それはそれでとても幸せなことだったと思います。
一方、現在、私たちが誇りに思う「豊かな日本の食」はそれとは意味合いが違います。地域に根ざしたさまざまな食材を、時に季節感を感じ、自然を感じながらいただく食や、盛夏でさえ鮮度を保ちながら提供できる豊富な海産物や、ラーメンやカレーのように異文化が融合する中で独自に発展した料理など、多種多様な食の集合であるように思えます。決して、上記の「食の欧米化」と大きく矛盾するものではなく、例えば日本で独自に発展してきたワインや牛肉など、欧米化する中で世界に誇れるものが多々あります。
確かに、戦後の急速な欧米化や効率化の中で、地域に根ざした地場野菜や地場料理などが急速に消えかけていましたが、このところの再発見や再評価が徐々に盛り上がっているのはとても良いことかと思います。今のように交通網や情報網が発達していなかった昔では、多くの人々は地場のものだけしか知らなかったわけであり、今のような多種多様な食の豊かさを享受していたわけではありません。今だからこそ味わえる「豊かな日本の食」でもあるのです。
さて、我々は、そのような「豊かな日本の食」に更に磨きをかける必要があります。それは、持続性を担保するような食の生産や食の消費スタイルの確立です。もともと日本では、自然を意識して、経験的に循環型の持続的農業や、資源保全を意識した漁業が広く行われていましたが、戦後の食料増産のための効率化の中ですっかり影をひそめてしまいました。今、科学的根拠をもちながら、また科学技術を活用しながら、化学物質による環境負荷が小さく、農業起源の温暖化ガスの排出を抑制し、エネルギー利用効率が高く、水資源を大切にする安全で高品質な食の生産の実現が求められています。さらに、調理も含め食の消費についても持続性を意識する必要があります。
例えば、低い自給率の中で、膨大な食料を輸入している日本ですが、一方でその30%に相当する食料が消費されず廃棄されている現状は明らかに異常といえるでしょう。
我々は、そのような持続的な食の生産と消費を実現して、初めて「豊かな日本の食」を心から誇れるのだと思います。さらに言えば、そのような持続性の担保があって、そのような豊かな食を持続させ、享受し続けることができるのだと思います。
GAP普及ニュースNo.48 2016/3