『守る・攻める EU農産物の地理的表示』
GAP普及ニュース44号(2015/7)掲載
山田 優
農業ジャーナリスト
わが国で2015年6月から、地理的表示(GI)を保護する制度が動き出した。高い品質が風土や伝統など土地に結び付いて生産されている食品や一部の農産物を、国がお墨付きを与えて保護する仕組みだ。欧州では古くから定着しているが、日本ではまだ知名度が低い。「商標」などこれまでの知的所有権とは異なり、GIでは特定の個人や会社が保護されない。「守るべきはホンモノを作る地域の人たちだけ」という潔さがこの制度の真骨頂だ。
農水省は6月1日からGI登録申請の受け付けを始めた。「市田柿」や「砂丘らっきょう」、「江戸崎かぼちゃ」など1カ月足らずで19品の申請が行われた。農水省は地方の組織を通じて申請を呼びかけている。JA全中もすでに、GI保護制度を積極的に活用する方針を決めている。JA向けに申請マニュアルを作成するなど、煩雑な申請作業を進めやすくするなどの後押しをする。農家の所得増大が課題の今年10月のJA全国大会の議案に同制度の活用を盛り込む考えだ。
JA以外にもGI保護を申請するところがあり、明るい話題に事欠く農業界で、今やちょっとしたブームになっている。「農産物のブランド化に役立つ」「輸出するにはGIが必要だ」みたいな形で語られることが多い。しかし、そうした「役立つ」という視点だけが一人歩きすると、GIの本質を見失うように思う。
かつて日本にGAPが伝わり、それが「差別化の手段」みたいな内容で語られ始めたことで、迷路にはまったと同じようなことが起こるのではないかと懸念している。
1冊の書籍を紹介したい。農文協が最近発行した「農林水産物・飲食品の地理的表示(地域の産物の価値を高める制度利用の手引き)」である。著者は高橋悌二さん。元農水省の官僚で国際畑が長く、フランスの大学で博士号(私法、食品法)を取得した方だ。農水省の研究総務官などを歴任し、退職後に国連食糧農業機関(FAO)の日本事務所長を務めた。高級官僚OBとしてありがちな傲慢さは微塵もなく、ぼくとつとした語り口はとても好感が持てる。本書も高橋さんの人柄がにじみ出ていて、平易な言葉を使ってGIの本質を解説するすぐれた内容だ。
本書を、日本農業新聞の5月31日付「書評」で次のように取り上げた。
◎農の本質と直結する制度
『ロマネ・コンティと呼ばれるフランスワインを知っているだろうか。ネットで検索すると日本国内の通販価格は、1本が100万円以上するものが並ぶ。安いものでも数十万円だ。ある地域の限られた畑から収穫されるブドウを、定められた手順で醸造し販売する。ごく普通のワインの一種だが、人気は半端ではない。市場原理から言うと、価格が高いと需要が減退し、一方で供給が増え、しばらくすると価格は下がる。しかし、高級ワインの世界ではこの原理が働かない。
ロマネ・コンティの魔法のような高値を支えているのは何か。もちろん、1500年に及ぶ伝統の技術が根っこにはある。同時に欧州の厳密な地理的表示の保護制度があることが理由として挙げられる。制度によって供給が制限され、製法や品質も厳しく管理されているため、消費者は満足してお金を払う仕掛けだ。
日本では6月1日から地理的表示法が施行されて、本格的な地理的表示(GI)の保護制度が始まる。ただ、日本ではなじみが薄く、十分に周知されているとは言いがたい。
本書の著者は農水省出身の元官僚だが、文章からはお役所特有の堅苦しさは感じられない解説書である。制度の背景や運用の手順まで丁寧に描いている。本気で地理的表示の保護を考える人たちにとって欠かせないツールとなるだろう。
本書を解説書という言葉だけでくくると間違う。「推薦」を本書の中で寄稿しているエッセイストの玉村豊男氏は、日本農業の衰退は「コストが安ければどこで作っても同じ」という農業の工業化に原因があると断じ、地理的表示が農業の営みの本質と結びつくとしている。本書を読むと、その意味が分かるはずだ。』
仕事柄、本の紹介をすることは少なくないが、最近読んだ中ではこの本がずば抜けて面白かった。詳しくはこの本を読んでほしい。勿論、地理的表示(GI)を考えている人にはマストの文献だが、農業の本質を考える上で役に立つように思う。
さて、従来の商標制度との違いを聞かれることが多い。地域ブランド商標や、商標でブランドを守る産地は少なくない。では、商標と地理的表示は何が違うのだろうか。商標はブランドを表すトレードマークであり、極端なことを言えば品質や産地を問わない。権利者が自分の責任で品質管理をするが、品質そのものが条件になるわけではない。生産する土地との関係も薄い。
コカコーラを考えれば良い。コーラ飲料だが、特殊な製法(レシピを公開していない)が売り物で、消費者は名前とマークで識別して商品を買う。どこで作っているかは意識しないだろう。商標そのものが売り買いされる可能性もある。商標の権利を持つ人がブランドを所有するのだから、それが中国であっても米国であってもかまわない。
これに対してGIは権利の所有者がいない。もちろん、売り買いもできない。さらに独占もできない。条件を満たした人であればGIへの参加を拒むことはできない。それはGIが地理的表示の名の通り、地域の土壌、気候や伝統、技術などをひっくるめた風土と結びついているため、個人が所有できないからだ。GIの仕様に沿って栽培すれば、誰でも保護対象になる権利が生じる(実際には品質基準などの審査がある)。また、GIは持ったまま他の場所に移動できないのは当然だ。 まさにないないづくしである。特許権や種苗権などのように、権利者がかちっと決まっているのとは対照的だ。
書評で書いたように、日本の農業は近代化あるいは工業化の道を歩む中で、地域や風土、伝統との結び付きを振り払ってきた。それがコストの削減や競争力の向上で消費者ニーズに応える唯一の道だと信じたからだ。
GIの本質は違う。農業は土地や風土と分かち難く結びついているのであり、長い年月をかけて築き上げたホンモノの農産物はきちんと守られるべきだという考えに立つ。GIの保護を受ける農産物について、品質を保証し、地域と結びついていることを証明するのは、その土地の人々だけだ。だから権利は売り買いできない。工業製品ならば他の土地で作っても同じようなものができるかもしれないが、「農産物は違うだろ」という論理だ。
根っこのこの部分を軽く見て、「ブランド化の強い武器」みたいなかたちでGIが動き始めることを危惧している。格好良く言えば、GIを通じて、もう一度、土地や風土と結びついた農業をめざすべきだと思う。
2014年3月に、「守る・攻める EUの地理的表示」という連載企画を日本農業新聞で4回掲載し、スペインと英国の事例を紹介した。GIは欧州が本場だ。EU(欧州連合)は、米国や南米、豪州などの新大陸から激しい農産物の輸入攻勢に直面する。苦肉の策で20年以上前にGIを導入し、域内農業を「守る」政策に転じた。
しかし、GIを導入してみたら、消費者も土地や風土に基づいたGI農産物に高い価値を見いだすようになった。しっかりとしたGI制度があるおかげで、今度は欧州農業が「攻める」ことができるようになったのだ。それで企画のタイトルを「守る・攻める」にした。
和食のブームにあやかって安倍政権は「攻めの農政」で輸出を掲げている。しかし、肝心の輸出するものは、品質がばらばらで玉石混淆のように見えて底が浅い。国産と名がつけば、輸入した大豆や小麦を原料に大量生産したしょう油やみそで良いのか。原料の麦芽を海外に頼った日本産ウイスキーでも良いのか。日本の多様な風土で伝統的な手法で作られたものこそが、価格競争に巻き込まれず、長い目で見て世界の消費者の支持を受けるはずだ。ブームに踊らされず、足元を見直すことが大切だと思う。GIは強い武器になる可能性を秘めている。
GAP普及ニュースNo.44 2015/7