『食品安全文化』
GAP普及ニュース31号(2013/3)掲載
松田友義
千葉大学園芸学部 教授
一般社団法人日本生産者GAP協会 理事
耳慣れない言葉だが、現在「食品安全文化」(Food Safety Culture)という言葉が注目されている。元々は食に由来する疾病を如何にして減らしていくかという試みの中から出てきた言葉らしいが、HACCPのような物理的・化学的に安全を担保するための仕組みをいくら整えても事故が減らないという事実の反省に立った概念である。日本語に訳すならば、むしろ食品安全(組織)風土とした方が理解しやすいかも知れない。
「食品安全」は価値であり、優先事項ではない。優先事項は、周りの環境の変化で変えることができるものであり、むしろ適切に変えることを要求される。しかし、食品安全は、食品に関連する業務に携わる全ての関係者にとって、何時如何なる状況においても変わることのない、変えてはいけない原則である。無論、昨今の放射性物質による食品汚染の懸念を前にして、「許容される汚染レベル(基準値)を変えてはいけない」というようなことを言っているわけではない。食の安全を判断する基準は変わり得る、しかし、その基準内でしっかりと安全性を担保するということにおいては、変えてはいけないということである。
食品関連技術者にとって、「文化」のような曖昧な概念は取っ付きにくいものであろう。生産者にとってもそれは同様である。技術的なことは理解できても、文化のような曖昧な概念は、人によって捉え方も異なり、中々共有できない。しかし、食品メーカーのように大勢の従業員が関わる業種、特に最近のようにパート従業員の担う工程が多いような業種にとっては大切な概念である。
文化とは「社会的グループを特徴付けるパターン化された考え方や行動様式であり、社会化の過程で学ぶことができるものであり、時間を超えて持続するものである」と考えられる。例えば、宗教的にはキリスト教文化、イスラム教文化、仏教・儒教文化などが存在する。それらの文化は、随分長い時間に渡って延々と維持されてきている。「安全」は、全ての産業に関わる重大事であり、それぞれの産業に特有の「安全文化」が存在する。その中で、食品に携わる企業・組織が持つべきものが「食品安全文化」である。
HACCPや衛生規範のような実際の製造工程における仕組みは、物としての食品の安全性を担保するための仕組みである。言ってみれば、Hardに関わる仕組みである。しかし、Hardだけでは食品の安全性を担保することはできない。そのことは、これまでの多くの食品に関する事故・事件が物語っている。HACCP認証を取得した工場においても事故は起きている。安全性を担保するためには、食品に関わる仕事に従事している全ての従業員や作業者が、食品安全の重要性をきちんと認識し、「自分が何をしなければならないのか、何をしないと、あるいは何をすると、どんな結果につながるのか」ということを理解しなければならない。それを知ることによって、自分の行動に対する責任感も芽生えてくるし、より安全な行動をとるようなモチベーションにもつながる。企業における管理者、現場監督者に至るまで、そのことを充分理解していなければならないし、従業員にもきちんと伝えなければならない。管理者が積極的に関与しないと、「食品安全文化」は育たないし、定着しない。このような行動に関するいわばSoftな部分に関わる仕組みが「食品安全文化」である。
「食品安全文化」は、それぞれの現場における従業員や作業者の行動をベースにして考えられなければならない。食品関係者、とりわけ現場作業者がいかなる行動をとるのか、これが食品の安全性を担保する上で最も重要なのである。
これは農業現場にも当てはまる。いくらGAPの認証を取ったからと言って、安全文化が備わっていないと、型通りの行動、マニュアル通りの行動に終わってしまう。グループ認証の場合には、グループ構成員の全てが、自らの責任、所属する生産者全員で担うべき共同責任についてきちんと理解していることが重要であり、グループに所属する構成員全員が、GAPの基本である適切な行動を取っていることを保証するための前提となる。これを全員に行き渡らせるのは、グループ代表者の責務である。代表者は、企業における管理職、いわばリーダーとして機能する必要がある。内部監査のように、「できているのか、できていないのか」という結果だけを重視するのではなく、日頃から「為すべきことは何か」、「何のためにそれが必要なのか」、「しなかった場合にどんな影響が出てくるのか」、「それはどんな結果につながるのか」などについて、リーダーはしっかりと伝えておく必要がある。
「食品安全文化」は、見方を変えると、GAPをうまく回すための「人と人とのつながり」をどうやって構築していったら良いのかを示すもの」とも捉えることができる。何か事故が起きてから、守るべきこと、遵守事項が完全に守られていたかどうかを検査し、再発防止策を検討することによっても、事故対応として結果的に、安全文化を取り入れることはできる。しかし、このやり方では往々にして事故対応に終わってしまい、より広範な、「そもそも何が重要なのか」、「何故安全は優先されなければならないのか」、「何をなすべきで、何をしてはいけないのか」というようなことがおろそかになりがちである。
食品安全文化は、フードチェーンの全ての段階で実現されることが望ましい。農業・漁業・林産業などの一次産業から、食品加工業、食品流通業、そして最後の砦たる消費者・家庭に至る全ての段階で「どのような食品安全文化が成立しているか」によって国の食品安全文化のレベルが決まるのである。
GAP普及ニュースNo.31 2013/3