-日本に相応しいGAP規範の構築とGAP普及のために-

『GAP普及ニュース 巻頭言集』

 普及ニュースに掲載された、有識者による巻頭言。

『子孫に何を残すのか』

GAP普及ニュース30号(2013/1)掲載

中島洋
一般社団法人日本生産者GAP協会 理事
国際大学(グローコム)教授

  全地球規模の異常気象や北極海の氷の溶融が加速化していることなどを見ると、地球環境は温暖化のテンポを早めているように思えます。太陽の黒点運動の周期からみると、地球は今後、寒冷化の方向に向かうので、偶然にも「温暖化は太陽の黒点運動による地球寒冷化を緩和させる」というような議論を混乱させるような説も起こっていますが、温暖化問題で人間が突き付けられた問題は、もっと根源的なところにあります。人間の「進歩」と考えていたことが、果たしてそうだったのかという「もっと深いところからの再点検が迫られている」ということです。

 人間が陥りやすい誤りに「合成の誤謬」があります。この意味は、個人や個々の組織が最も合理的だとして行っている活動が、個々には正しくても、全体が集まると誤った結果に導かれるということです。「部分最適の総和は、全体最適にはならない」と言った方が分かりやすいでしょうか。

  仮に農業分野のある人々が、最良の結論を求めて良かれと思うことを行っても、それは「部分最適」を実現するだけであり、「全体最適」に導くものかどうかは、別の観点から検証しなければなりません。

  それでは「全体最適」というのは何でしょうか。

  地球温暖化の問題を含めて、地球環境の問題が突き付けたものは、「人間社会は存続できるのか」ということでした。今生きている人々の幸福を追求して、資源を過度に消費し、環境を汚してゆくことによって、将来の地球に生きるべき子供や孫の世代、さらに子孫の世代が生存するための資源や環境を食いつぶしてしまう、「それで良いのか」という疑問です。仮に現代人の全てが今の文明で満足したとしても、それは「部分最適」に過ぎなくて、将来の人間の生活や幸福を破壊しているとしたら、それは人類の存続という「全体最適」に結びつかない間違った生き方だと言えます。

  翻って農業を考える際にも、農業従事者だけに最適な農業活動を追求すると、「部分最適」にとどまってしまいます。消費者の安全・安心ばかりを目標にした農業も「部分最適」に過ぎません。流通事業者が「売れる農産物」を求め、効率的な流通体系を構築するのも、個々の関係者は満足しているかもしれませんが、それが「全体最適」につながるのかどうかは、常に点検をしていかなければならないと思います。

  田上隆一理事長がこのニュースの28号ですでに「農業倫理」について詳しく述べられました。それを少し補足すると、「倫理」という言葉には、「仲間(共同体)を存続させる」という「共同感情」が基礎にあります。不良少年の仲間は、その仲間集団を守るためなら他人に対しては暴力をふるい、どんな嘘でもつき通すことがその仲間集団にとっての「倫理」です。

  しかし、上述したように、これは「部分最適」に過ぎません。より大きな「社会」という共同体を存続させる規範(倫理)とは対立します。この「社会の存続」という考えは、より大きな「国家の存続」、「人類という仲間集団(共同体)の存続」の議論に発展してゆきます。「全体最適」は「人類の存続」に行きつきます。もちろん、人類の名の下に、個々の共同体の「部分最適」を犠牲にしろということではなく、「全体最適」を意識しながら「部分最適」を絶えず再構築する努力が必要になる、ということです。

  GAPも同様に調整、発展させていくことが重要だと思います。消費者の安全が最重点とか、生産者の効率・利益、流通事業者のビジョンの実現が目的、というような「部分最適」に視野が向き過ぎると、それぞれ自体は立派な目標だとしても、それを集合しても「全体最適」には程遠い活動になるという結果に陥るかもしれません。農業倫理の羅針盤となるのは、この農業活動が人間社会の存続を阻害することにならないか、不断にそれを点検するということだと思います。

  製造事業者、流通事業者、行政、そして消費者がそれぞれに最適な仕組みを求めています。その総和が人類の存続という観点からみて、適切かどうか。日本生産者GAP協会は「全体最適」につながる「新しい農業の仕組み」を追求して行きたいと思っています。

GAP普及ニュースNo.30 2013/1