『ベトナムの子供が支える環境保全型農業』
GAP普及ニュース27号(2012/7)掲載
二宮正士(農博)
一般社団法人日本生産者GAP協会 常務理事
東京大学農学部附属生態調和農学機構 教授
農業による環境負荷は、発展途上国でも深刻である。今回紹介するベトナム・メコンデルタでも、にわかには信じがたい稲作が行われていた。ドイモイ以降、著しい経済発展を遂げているベトナムであるが、今でも米は最も重要な輸出産品である。しかし、品質は良いとはいえず、価格も安いため、ベトナム政府は品質向上による販売価格の上昇と安定化と、農民の生活水準の向上を強く訴えている。
例えば,移植栽培による二期作について、こまめな栽培管理が政府のお薦めであるが、実際には都市への人口移動などによる人手不足もあり、直播による三期作が広く行われている。また、多くの農民が単純に「高収量は高収益につながる」と信じ、高品質というよりひたすら収量向上を狙っている。その手段も、超厚播きの直播、多肥の投入である。
私達が調査に入ったビンロン省のある地域では、播種量がヘクタール当たり250~300キログラムであり、日本における直播栽培の4倍から15倍にもなる。肥料もヘクタール当たり窒素換算で200キログラムと、日本の3~4倍にもなり、尋常な量では無い。そのため単収はそれなりに良くなり、籾の収量でヘクタール当たり約8トン(玄米で6.4トン)であるが、播種量から単純に計算すると1粒が30粒程度にしかなっていないことになる。肥料も明らかに過剰で、多くが環境に流亡していることが容易に想像できる。ベトナム最大の米産地であるメコンデルタでは、メコン川の水質汚染の原因になっていることが指摘されている。そして、この多投入の資材代が農民の生活を圧迫しているのである。
このような背景のもと、ベトナム政府も品質向上に加え、環境保全や持続的農業の実現を重要な政策として位置づけているが、なかなか問題の改善は見られないという。ひとつには、地方の普及職員の給料が極端に低く、その代わりにサイドビジネスが許されている事情があり、彼らの多くが農業資材の販売を手がけ、多投入を指導すればそのまま売上げに直結するという、どこかの国でもあったような社会構造のようだ。
しかし、ことの本質は、農民に正しい栽培技術がきちんと伝わらないことにある。これまでも、ベトナム政府は勿論、日本や諸外国のODAなどによる技術移転プロジェクトが数多く行われてきたが、末端の農民レベルにはなかなか技術が浸透していないようである。
ベトナムの子供達が担う農業の情報伝達
ところで、ベトナム政府の公式統計によると、ベトナムの「非識字率は10%程度」ということで、「ほとんどの人は字が読める」ことになっている(らしい)が、私達が調査に入った地域ではそれより遙かに字の読めない人が多く、それが農業技術を正しく伝える大きな障害となっていることを知ることになった。
そこで思いついたのが、きちんと学校教育を受けて字の読み書きできる農民の子供達を使って情報伝達ができないかというアイデアである。もともと京都にあるNPO法人パンゲアの発案がベースになっているが、農業専門家と字の読めない農民の間のコミュニケーションを子供達に仲介してもらおうというものであり、名付けてYMC(Youth Mediated Communication)と呼んでいる。昨年度、この提案が総務省のプロジェクトに採択され、ベトナム政府の農業農村開発省の全面的なバックアップにより、実際にこの方法を試験運用することができた。
一言でいえば、字の読める子供達が、字の読めない親に農業上の疑問や課題について取材し、インターネットに接続されたパソコンのある村の集会所に行き、その質問を遠隔地にいる専門家に送ると、専門家がアドバイスを返し、子供達はそれを家に持って帰って親に説明するという流れになる。
ただ、子供達が親から聞いたことをそのまま専門家に質問を作って送るのは容易ではないので、コンピューターに予め用意されている相当量の典型的な質問リストの中から適切なものを選び出し、専門家もそれに対応して、用意された回答リストから選んで回答するということを原則としている。質問と回答は必ずしも一対一対応ではなく、状況に応じて専門家側は最適な回答を選び出すことになっている。また、親への情報伝達を確実にするために、レシピカードと名付けた典型的な回答例を記載した紙製のカードが村の集会所に用意されていて、子供達は専門家の指示によってそれらうちの適切なものを家に持ち帰ってグラフィカルに親に情報伝達をする仕組みになっている。
子供達は同時に、圃場センサーとしても働いてくれる。子供達にはアナログの乾湿計、メジャー、簡易葉色板、簡易虫観察板、カメラ付きの安価な携帯電話を配布する。気温や湿度は毎日測定して携帯電話のショートメッセージでプロジェクトのサーバに、当日の天気情報とともに送付してもらう。
また、週に2回、家の水田を訪問して貰い、メジャーで草丈を測定し、葉色板で葉色を測定し、虫観察板を使って昆虫を発見し、病徴の発見などもして貰い、適宜携帯のカメラでこれらを撮影して報告して貰う。これらの情報を、子供達から送られた質問と合わせることで、専門家はより適切な回答を用意することができるようになる。なお、携帯電話が子供センサーのインセンティブになっているとも言える。
子供達が専門家と情報交換行うためのソフトウエアインタフェースも使いやすい工夫が施されているが、今回の取組みの大きな特徴は、日本の専門家も同時に参加したことにある。つまり、機械翻訳を使って日本語とベトナム語を橋渡しすることができるが、とりわけ日本語とベトナム語の間の機械翻訳は、まだまだかなり貧弱で実用的とは言いがたい。その問題を解決するために、予め翻訳をしておく質問リストと回答リストを用意したが、どうしてもその中に適切なものが無い場合には、自由な文章で記載することになる。その際、貧弱な機械翻訳を補完するために活躍するのがブリッジャーと呼ばれる橋渡しの人達で、日本側では、日本語から中間言語である英語に機械翻訳をするときの修正を担当し、ベトナム側では英語からベトナム語への機械翻訳の修正や、難しい専門語を子供達にも理解できる表現にするための修正を担当する。
YMCモデルの効果
このようなYMCモデルの実践はまだ緒に就いたばかりであるが、この間だけでも実に多くの可能性が示された。本筋であるYMCによる技術の伝達効果については、さらに数年間の運用と評価を経て真価が見えてくるものと思われるが、単に子供達がメッセンジャーとして機能するだけではなく、親子のコミュニケーションが増え、これまで全く話題にならなかった農業関連も、親子の会話の中に増えるという、全く考えてもいなかった副次的効果も生まれてきたのには驚いた。
事後のインタビューでは、農業技術者になりたいという子供さえ登場した。YMCが単なる意思決定への支援にとどまらず、子供達の農業教育と社会教育のチャンネルとして、新しい農村振興に向けた潜在的な機能を持っていることも明らかになってきた。先に、農業普及員が資材販売を手がけており、その課題についても述べたが、社会に根付いているシステムを即座に変えるのは容易ではない。今回の取組みを子供への環境教育としても捉え,次世代の変革を担ってもらう人材育成という中期的効果にも貢献できそうだ。
子供センサー」はとても役に立つものである。確かに子供によっては、任せられた仕事をサボるし、計測時間のバラつきなどがあり課題も多いが、葉色の調査や、病気や害虫の発見など、コストをかけてもなかなか自動的に収集できない情報をいとも簡単にやって貰える効果は絶大であり、間違いなく専門家の判断の手助けになる。気温のデータなども、明らかな異常値を除いた上で、複数の子供達の平均値をとれば、かなりの精度が期待できるし、何よりもそのような情報がこれまでなかった状況と比べれば格段の進歩である。継続的に諸データを収集し、作物の生育モデルなどと組み合わせれば、最適な品種の選定や出穂期の推定なども可能になり、病気の発見情報を地理情報システム上に可視的に乗せることで、地域における病気の早期警戒情報のようなものにもなり、広範囲に応用すれば、地域の早期警戒システムとして発展できるかもしれない。何よりも、子供達が既存のモニタリングシステムに比べて、ほぼメインテナンスフリーなのがとてもうれしい。
広域のシステムを支援する多言語翻訳
多言語環境の導入は、他の国や地域への拡張性を担保してくれそうであるが、一方で、ブリッジャーへの依存度が高く、システムのスケーラビリティ(同じソフトウェアで小規模なシステムから大規模なシステムまで同じように構築できること)には限度がありそうだ。この解決には、あらかじめ翻訳しておける質問リストと回答リストの充実が何よりも重要であるが、これは現場での実践を通して蓄積されるものであり、正に走りながら良くするだけであろう。
子供達は、パソコンや携帯電話もたちまち使いこなした。このような子供達の柔軟性が、村のIT化に大いに役立ちそうである。村までのインターネットは、政府によって随分前に用意されたが、実際にはほとんど利用されなかったという。子供達がパソコン活用の起爆剤なれるかもしれない。
この他、伝達する情報は農業技術ばかりでなく、公衆衛生の知識などの普及にも使えるかもしれないという提案も出てきている。このように、様々な副次的効果がむしろ主役になりそうな勢いでメニューが並べられているが、何よりも重要なのはプロジェクト終了後の現地での持続性であると認識している。幸い、低コストでシンプルな取組みであり、最低限の条件はそれなりにクリアしているかもしれない。
今回、事前のインタビューで選ばれた親が非識字の38家族が参加し、子供達の年齢は9歳から14歳であったが、子供達が成長したあとの継承をどうするかなど、まだ詰め切れていない課題も多い。どうにか予算を確保して、この取組みを続けていきたい。幸い、受入れ側のベトナム政府はのりのりで準備してくれている。
GAP普及ニュースNo.27 2012/7