『日本の農業普及制度とGAP推進』
山田正美一般社団法人日本生産者GAP 協会 理事
GAP推進における普及制度の重要性
はじめに
この『GAP普及ニュース』の読者の方は、何らかの形でGAPに興味を持たれていると思います。そうした皆さんの中には、農家を指導する立場にある都道府県の普及指導員や、JAの営農指導員の方も多いのではないでしょうか。
筆者は、普及事業にも携わった県職員のOBです。県に採用されて農業試験研究機関で農作物に対する環境汚染の被害に関する研究に従事し、その後、普及事業における農業情報や麦・大豆の専門技術員、農業経営の研究を経て行政部門の業務に従事した経験があります。行政に在籍していた時には、環境調和型農業の推進にも携わったこともあり、環境保全や労働安全、安全に配慮した農産物生産などについて、GAPの推進に関心を持っていました。
GAPは、単に農場から出荷する農産物の安全性を確保するためだけのものではありません。農業が行われている地域の環境保全や農作業を行っている人達の安全が確保されることもGAPとしては非常に重要なことです。このことは、安全な農産物を買い付けるバイヤーだけの問題ではなく、また環境汚染を取り締まる環境部門の規制指導だけでもなく、さらに労働安全を所管する部署の安全指導だけの問題でもありません。農場で生産される農産物の安全性はもちろん、地域環境の保全や作業者の労働安全についても充分配慮することは、真に『農業の持続性』を考える上で欠かすことはできないと考えています。そのことは、環境保全や農作業を行う人の労働安全にも配慮し、農業者をトータルで指導できる普及指導員や営農指導員の役割が非常に大きいことを示しています。
その意味で、普及指導員や営農指導員などによる日本の普及制度を理解しておくことは、GAPの推進を適正に行う上で参考になるのではないかと思い、連載として始めることにしました。
普及制度と技術普及の課題
農業の新しい技術や考え方というものは、農業者が理解し、効果があると判断すれば、農業経営に取り入れられ定着していくものです。そうした新しい技術や考え方が、自然に広がっていくのを待つのではなく、いち早く組織的に普及するのが普及制度であり、普及に携わっている人の醍醐味といえるでしょう。
ここで言う普及制度とは、国と都道府県の協同普及事業だけでなく、民間である農協の営農指導事業なども含んでいます。普及指導員や営農指導員の方々は、農家にとって一番身近な所で活動し、農家に絶大な信頼を得ており、農家への影響力には非常に大きなものがあります。
戦後の1948(昭和23)年にスタートした公的な協同普及事業は、農地解放で生まれた自立的農家の育成・指導と、技術指導による食糧の増産が大きな目標でしたが、その後のコメ余り、機械化などによる労働時間の減少、専門分野の技術の高度化など、農業を取り巻く社会の急速な変化に伴い、国の農業政策が変わり、協同農業普及事業もこうした変化に対応するために大きく改変されてきました。そうした普及事業の変遷についても、このシリーズの中で紹介していきたいと思います。 また、日本だけでなく、海外の農業普及制度に目を向けてみますと、ヨーロッパでは、GAP普及に普及員が深くかかわっています。普及事業が民営化の方向に動いている中で、GAPのような農業環境の保全に係わる国の政策に関しては、国民全体の問題として公的負担(税金)によって行われているようです。
例えばイギリスでは、公的な機関による普及事業はなくなり、民間の機関が個々の農場の農業経営にアドバイスをしてそのコンサル料で普及制度が成り立っています。しかし、その一方で、GAPにも関係する環境保全などの国民的課題の推進に関しては、政府機関から民間の普及組織に委託され、普及員を通して推進されています。農業者の方も、普及を担う職員に対する信頼が厚く、これらの職員を通したGAPの推進が功を奏しているといえます。
一方で、アジア各国における普及制度では、充分な公的予算を確保することができず、農薬・肥料などの農業資材を販売する利益で普及を行っている国が多く、アジア独自の課題が存在しているようです。
普及の仕事は、農業者にGAPなどの役に立つ新しい技術や考え方を速やかに伝えることにより、農業者自らが実践することを支援することにあることはすでに述べた通りです。そこで、農業者が求めている、あるいは伝えるべき新しい技術を、試験研究機関などと連携してどうやって開発していくのかといったことも課題となってきます。このような技術開発とその普及についても、このシリーズの中で取り上げていきたいと思います。
今回は、連載を始めるにあたっての考え方を示しましたが、次号以降、具体的な事例やデータなども交えながら紹介していきます。
公的普及の変遷
明治期の技術開発と指導
明治期の技術開発と指導というと、国策として外国人教師を招聘し、その指導の下で欧米の新技術が導入されたことが知られています。この中では欧米農法の紹介や洋式農具、種苗、家畜の導入などが試みられました。“Boys be ambitious”で有名な札幌農学校のクラーク博士はよく知られています。
一方、海外へ行って西欧の農業技術を学び、日本で普及に尽力した人もいました。幕末から明治にかけて活躍した福井藩主松平春嶽の孫にあたる松平康荘(やすたか)は、「立国の大本は農業の振興にあり」という春嶽の意志を継承し、英国サイレンセスター王立農学校へ留学し、農芸を専攻しています。帰国後、現在の福井市の中心にある旧福井城の本丸や二の丸、三の丸跡地に『松平試農場』という農事試験場を設け、西欧の技術を取り入れ、リンゴ、桃、梨などの果樹や野菜の新品種の試作を行って成果を上げるとともに、土壌分析、農事相談、農産品評会などを通して農業技術の開発や普及に尽力しました。また、松平康荘は、現在全国農業改良普及支援協会が入居している東京赤坂にある三会堂ビルに事務所を持つ大日本農会の会頭、帝国農会の会長を歴任するとともに、英国博覧会に日本の柿の栽培を紹介し、日本の柿がヨーロッパに広がるきっかけになったといわれています。さらに、青森のリンゴも、一説には祖父である春嶽が1862 年(文久2 年)にアメリカから20~30 種の苗木を取り寄せ、江戸の越前藩の土地に植えたのがきっかけであったともいわれています。いずれにしても、明治の農業技術指導は、西欧の新しい技術を学び、日本の気候・風土に適合した技術として、農民を指導した時代といえます。
大正時代から終戦までの技術開発と指導
大正時代になると、農会組織が帝国農会・県農会・郡農会・市町村農会と充実し、農事講習会・品評会・農機具展示会、技術院設置、緑肥栽培奨励、生産者販売斡旋、害虫駆除奨励(めい虫の蛾および卵の買上げ、誘蛾灯の設置)、種子の斡旋など、積極的な活動が行われてきました。大正時代の中期から、農事改良施策は政府の補助金と農会の技術指導とによって推進されてきました。
昭和に入ると、戦時経済体制が強化された中で、当時日本領であった朝鮮や西日本の旱魃による不作もあり、食糧増産が緊急課題となり、以後戦後にかけての農業技術の普及は農業一般の改良から食糧増産を目指すものに変わっていきました。
戦後の公的普及事業の創設期
現行の公的普及事業は、第二次世界大戦後の連合国占領下において、GHQ(連合国最高司令官総司令部)の指導・助言の下、1948 年(昭和23年)に発足したものです。
日本の新しい普及制度を考える上でお手本になったアメリカの普及制度は、各州の州立大学と強く結びつき、教育的側面が強調されており、科学的なものの見方や考え方、総じて「考える農民」の育成を理念に、農民に対し、教育的手法のもとに生産技術、生活技術の普及活動を展開するというものであります。
しかし、アメリカの普及制度を参考に導入された日本の普及制度は、アメリカと同様に教育的側面が強調されていますが、教育機関である大学との結びつきはなく、国と県の協同事業として行政がイニシャティブをとり、技術開発は国と県の農業試験場が担うこととなりました。
発足当時は、地主・小作制度が農地解放(1947年~1950年)により消滅するとともに、自作農(内地平均1町歩、北海道4町歩)が大量に出現した時期でもあります。その当時、戦後の食糧難の時代にあって、食糧増産が喫緊の課題となっている時期でもありました。
協同農業普及事業の発足当初は、改良普及員が普及活動のシンボルである『緑の自転車』に乗って農家を巡回したことが良く知られています。
高度経済成長期における普及活動の専門化
1960年以降、トラクター、田植え機、コンバインの導入など農作業の機械化、除草剤などの農薬の普及により、稲作の作業時間が大幅に短縮されることになります。その結果、農家に余剰労働力が生まれ、この農家の余剰労働力が、高度成長期が始まった製造業に向けられることになってきました。こうした就業形態の変化は、農家の構成が平均1ヘクタール規模の自作農体制から、農業以外に多くの収入を求める多数の兼業農家層と主に農業収入に依存する少数の大規模専業農家層へと分化を始めることにもなってきました。
普及事業はこれまで比較的均一な自作農(所有農地約1ha)を対象にした稲作技術の普及が中心でしたが、大規模専業農家の出現により、農業経営の専門化、農業技術の高度化に対応した普及が求められ、1963年には、改良普及員の職務を分化し、農家の指導に当たる地域改良普及員と専門項目を担当する専門改良普及員に分けて活動するようになります。
普及活動の専門化と同時に農業改良普及所の統合による広域化により、普及活動の効率化が図られ、1965年に1,123箇所あった普及所が1970年には630箇所と約半数にまで縮減され、専門分野を担当する普及員が設置されています。
米過剰時代における地域班活動方式
経済成長が進むにつれ、国民の食生活の嗜好が変わることで米の消費量が年々減少し、一方で生産技術の改善で反収が増加することで、結果として米の生産過剰が深刻な問題となってきます。1978年には米の過剰生産を抑えるため、余剰の水田において米から他作物への転換を推進し、米の需給調整を行ういわゆる転作制度がスタートしました。こうした中、兼業化がますます進む一方、優れた農業者や農業法人が出現することになります。1980年には、普及活動の総合指導力を強化するため、一定地域を対象に複数の改良普及員による指導班を編成し、担当する地域における解決すべき課題に取り組む地域分担方式が採用されるようになりました。北陸などの水田地帯では、集落の農地を一つの圃場と見なし、圃場を団地化し、ブロックローテーションで麦や大豆を栽培するという集落農業が推進されたのもこの時期になります。
米の自由化にも対応できる強い経営体の育成
1990年代から現在まで、わが国の農業政策は大きく転換しています。 1993年のガット・ウルグアイ・ラウンドで、国際的な貿易自由化の圧力の中で、米の関税の特例措置を認めてもらうために、これまで輸入してこなかった米をミニマムアクセス(MA)米の輸入という形で受け入れざるを得なくなりました。
このため政府は、コメの生産・流通面における政府の管理統制を改め、コメの生産流通を市場の動向に委ねることで、競争力のある米作りを実現しようとする農業強化策を打ち出してきています。普及組織においても、自由貿易に対抗できる農業の育成が大きな課題となり、政府はこうした農業政策に対応し、強い経営体を育成するため、農業の担い手の育成、農地の集積、農業の法人化を積極的に進めるための改革がおこなわれ、現在に至っています。この間の変化については、改めて詳述したいと思います。
普及事業の目的の変遷
協同普及事業の根拠法である農業改良助長法における第一条(法律の目的)の変遷についてみると、1948年発足当初の法律では次のようになっています。
「この法律は、能率的な農法の発達、農業生産の増大及び農民生活の改善のために農民が農業に関する諸問題につき有益、適切且つ実用的な知識を得、これを普及交換して公共の福祉を増進することを目的とする」(太字アンダーライン:筆者)
この法律の目的のうち「能率的な農法の発達」「農業生産の増大」「農民生活の改善」という項目が、時代の変遷とともに現状に合わなくなってきたことから、1994年の法律改正で大幅に修正され、以下のようになりました。
『この法律は、農業者が農業経営及び農村生活に関する有益かつ実用的な知識を得、これを普及交換することができるようにするため、農業に関する試験研究及び普及事業を助長し、もつて能率的で環境と調和のとれた農法の発達、効率的かつ安定的な農業経営の育成及び地域の特性に即した農業の振興を図り、あわせて農村生活の改善に資することを目的とする』(太字アンダーライン:筆者)
ここで初めて「環境と調和のとれた農法の発達」が普及の目的として規定されることになります。これは、農業生産量の増大を推進するあまり、過剰な施肥による肥料成分や農薬散布による農薬が農地にとどまらず周りに流れ出すことで、湖沼の富栄養化をはじめとする環境汚染を引き起こす原因の一つとして認識されてきたことや、畜産業の振興で過剰に発生する畜産廃棄物のリサイクルという観点から法律に取り入れられたものと考えています。こうした環境保全やリサイクルの取組みは法律の改正以前にも行われ、指導されていましたが、1994年に正式に法律に位置づけされたものです。
主な参考資料
越前松平試農場史、小林健壽郎編、越前松平家松平宗紀発行、創文堂印刷(1993)
日本の農業普及事業の軌跡と展望、山極榮司著、(社)全国農業改良普及支援協会発行(2004)
農林水産省ホームページ
農業普及事典、日本農業普及学会編、(社)全国農業改良普及支援協会発行(2005)
農業改良助長法、最終改正:平成23年8月30日法律第105号
Yamada, M., 2008. Japan. Country Chapter 7, In: R.Saravanan(Ed.) Agricultural Extension: Worldwide Innovation, pp.189-220, New India Publishing Agency(NIPA)
農協による営農指導などの民間による普及
農業者が受けているアドバイスの実態
農家が「誰からどういう情報を得ているのか」という実態を知るために、農林水産省が2002年に全国の2,276人の農家に対して行ったアンケート結果を紹介します。
これによると、農家がアドバイスを受ける相手として最も多いのは、公的機関の普及センター(普及指導員)で、全体の8割を超えています。次いで多いのは、先進的農家と農協(営農指導員)で、ほぼ5割の農家がアドバイスを受けています。また、肥料や農薬などを扱う民間業者も33%と3分の1の農家がアドバイスを受けています。
このように、農家にとってはアドバイスを受ける相手として普及センターの普及指導員以外では、農協の営農指導員などの民間機関が高い割合を占め、その重要性が伺えます。今回は、民間機関による普及ということで、農協の営農指導事業を中心に紹介します。
農協の営農指導事業
組合による農家指導の原点は、昭和4年の世界大恐慌の影響により昭和7年に発生した農村不況に対する産業組合の拡充運動を契機として生まれ、当時の信用事業が中心であった産業組合が営農生活に関する指導事業、肥料・農薬の共同購入、農産物の共同販売を開始したことに始まるといわれています。その後紆余曲折があり、現在の農業協同組合における営農指導事業は、昭和22年の農業協同組合法の誕生と同時に発足したものです。これは、戦後の占領軍であるGHQの意向を反映したものですが、これ以来、農業技術等の普及体制は、今日に至るまで国と都道府県との協同による農業普及事業と農協の営農指導事業の両面で維持されてきています。
このような普及体制の両面構造の中にあって、JAの営農指導は組合員である地元農家と身近に接し、生産から販売までの一貫体制の下で、生産資材と一体的な技術の紹介、販売出荷指導、生産の組織化指導までを担当しています。 また近年、公的な普及指導員と同様、JAの営農指導員の総数が減少傾向となっています。ちなみに1990年から2007年の12年間で24%の減少を示しています。この減少傾向は現在も続いていると思われます。
営農指導の事業費
公的普及指導事業の事業費は税金でまかなわれているのに対し、営農指導事業の事業費は一部公的補助があるとはいうものの、大部分は農協組合員による賦課金という形で徴収されています。しかし、賦課金の事業費に占める割合は全国ベースで2割程度と低く、これだけで事業を運営することは困難となっています。また、地域によっては賦課金を徴収していない農協もあります。このため、営農指導事業の経費のほとんどが農協の他部門の収益でまかなわれていることになります。一方で、JAに組合員農家と直接接する営農指導事業があることで、信用部門や共済部門の利益につながっているとも言われています。
公的普及との連携
農家の立場で考えると、普及センターの普及指導員であろうと農協の営農指導員であろうと、必要なアドバイスが得られることが重要であり、同じことを二重に指導したり、必要なことをどちらも伝えなかったりすることは大変に効率が悪くなります。そのため、両者のそれぞれの強みを生かした連携が重要となります。
連携の方法は地域や課題によって異なるものですが、一般的には、普及指導員は試験研究機関の開発した新技術や広域的な情報に強みを持ち、営農指導員は地元に密着して組合員の営農と販売に強みがあります。
例えば、以下のような特産物の産地育成プロセスについて考えてみます。- 現状(地理的条件や人材の情報、販売情報)の把握
- 具体的な収量、品質、栽培技術等の目標設定
- 個々の農家レベルに応じた指導事項の提示と実践
- 成果の検証と対策の検討
このような事例は実際に携わっている読者の方が詳しいとは思いますが、あえて言うと、広域的な栽培情報や技術情報を持ち、分析能力にも長けている普及指導員が主に②や④を担当し、地域に密着し地元の情報を多く持っている営農指導員が主に①を担当し、③は両者で行うということが一般的に考えられます。このように、それぞれの強みを生かした連携が重要となります。このような連携は産地育成に限らず、GAPの普及にも生かしていくことが重要となります。
農協以外の民間普及
最初に示した「農家がアドバイスを受ける相手」を示したグラフにも見られるように、農協以外の民間業者にアドバイスを受けている場合も多くみられます。この場合の民間業者としては、大きく分けて、技術系のコンサルタントと経営系のコンサルタントに分けて考えることができます。
技術系の農業コンサルタント業
ガラスハウスで行う大規模な水耕栽培やロックウール栽培など、多額の投資をして新しい特殊な生産施設を導入する場合があります。営農指導員や普及指導員は、汎用技術には対応できても、特殊な装置には十分な知識を持ち合わせていません。この場合、農家は投資額に見合った収益を上げるため、施設の操作方法や栽培の要点などを施設導入した会社に関係するコンサルタントに技術指導を依頼することになります。
具体的には、こういった施設を導入した農家が数人から十数人集まり、コンサルタントと契約し、指導料を払って定期的な指導を受けている事例があります。ただし、このような事例は先進的な施設を導入した経営体に見られても、まだ一般的とは言えないようです。
経営系の農業コンサルタント業
経営規模の拡大や、経営のやり方を変えようとする場合、経営の専門知識を持った人達の支援が必要となってくることが多くなります。具体的には、新規投資の適否、損益分岐点分析による経営計画等のアドバイス、法人化・組織化の促進、社会保険制度・退職金制度の知識向上、経営能力の向上、企業感覚の養成といった目的で、税理士や、中小企業診断士、社会保険労務士などの資格を持った専門家が普及組織などとタイアップしながら農家の指導を行っています。
資材業者
米、麦、大豆など主要な穀物を生産するための資材は農協を通して購入することが一般的で、その標準的な使用法も営農指導員や普及指導員によって指導されることが大部分となっています。しかし、園芸部門の種子、肥料、農薬は多種多様で、特殊な用途のものも多く、初めて導入する場合には販売業者のアドバイスを必要とする場合が多くなります。しかし、販売業者は直接農業者との間で利益を得るという立場にあり、情報に対する公平性を欠く場合も考えられます。
新聞・雑誌による普及
従来からの新聞や雑誌による農業情報の伝達は、農業経営に必要な技術の伝達や、革新的な技術の普及には大きな貢献をしてきており、現在も農業者にとっては重要な情報源となっています。最新の情報をすばやく伝える農業関係の新聞(表1)は、主なものとして畜産関係も含めて12紙あり、うち日刊紙は3紙となっています。また、新聞とは別に、月刊の専門雑誌(表2)も農業・畜産分野で約30種類発行されています。
名 称 | 発行形態 | 発行部数 | 内 容 |
---|---|---|---|
日本農業新 | 日刊 | 38万部 | JA系統が発行する農業総合日刊紙 |
全国農業新聞 | 週刊 | 35万部 | 全国農業会議所発行の農業総合紙 |
農業共済新聞 | 週刊 | 26万部 | 全国農業共済協会が発行する農業総合紙 |
農村報知新聞 | 月刊 | 8万部 | 農業青少年を対象に農業経営全般にわたる報道 |
日本農民新聞 | 月3回 | 7万部 | 農協界の動向と農業・農政全般にわたる報道と解説 |
農機新聞 | 週刊 | 5万部 | 農業機械の専門紙 |
農経新聞 | 週刊 | 3万部 | 輸出入、流通、小売などの専門紙 |
週刊食肉通信 | 週刊 | 3万部 | 食肉関係の行政、生産、市場動向の専門紙 |
※発行部数はインターネット調査による(実際の購読数はこれより少ないと推察される)
名 称 | 発行形態 | 発行部数 | 内 容 |
---|---|---|---|
現代農業 | 月刊 | 28万部 | 農業技術、経営、農政、生活全般について解説 |
農耕と園芸 | 月刊 | 8.5万部 | 野菜、花、果樹の栽培関係者向けの専門情報 |
農業と経済 | 月刊 | 5.6万部 | 農業指導者を対象にした農業・農村・農政問題研究誌 |
機械化農業 | 月刊 | 5万部 | 農業機械の運転技術、製品紹介など農機業界の動向を解説 |
技術と普及 | 月刊 | 4.5万部 | 普及指導員を主対象としたリーダーのための農業情報誌 |
果実日本 | 月刊 | 3.5万部 | 果樹園経営者向けの情報専門誌 |
農業構造改善 | 月刊 | 2.4万部 | 農業構造改善を目的とする論文を掲載 |
今月の農業 | 月刊 | 2.3万部 | 病害虫防除、農薬、バイオ関連などの情報を提供 |
畜産の研究 | 月刊 | 2万部 | 畜産全般にわたる実用記事、内外情報、経営技術を掲載 |
鶏の研究 | 月刊 | 2万部 | 養鶏業者を対象に、業界や行政の動向、生産・経営技術を紹介 |
養豚の友 | 月刊 | 2万部 | 養豚業者を対象に、業界や行政の動向、生産・経営技術を紹介 |
※発行部数はインターネット調査による(実際の購読数はこれより少ないと推察される)
以上、全国レベルの印刷媒体についてその状況を記述したが、これらの記事の中には、普及指導員や営農指導員が執筆しているものも数多くあります。
一方、地域では普及組織が独自に情報提供しているところも多く、「営農だより」や「普及だより」として、それぞれ独自に管内農家に向けた地域独自の栽培技術情報や、普及組織の情報などを提供しています。しかし近年はこのような情報提供はインターネットに代わりつつあります。
主な参考資料
1.全国農協中央会資料、2007年(http://www.zenchu-ja.or.jp/food/keizaizigyou/ 12/4-sankou-1.pdf 2012年12月14日閲覧)
2.山里善彦、組合金融の動き「営農指導員と改良普及員」、農林金融(2002.8)
3.須田敏彦、農協営農指導事業の収支と他事業への波及効果、農林金融(2002.10)
4.清水徹朗、調査研究「系統農会の歴史と農協営農指導事業」、調査と情報(2005.1)
5.農業普及事典、日本農業普及学会編、(社)全国農業改良普及支援協会発行(2005)
6.Yamada, M., 2008. Japan. Country Chapter 7, In: R.Saravanan(Ed.) Agricultural Extension: Worldwide Innovation, pp.189-220, New India Publishing Agency(NIPA)
アメリカの協同普及事業
この連載記事は、GAPを普及推進する上で重要な役割を果たしている普及指導員や営農指導員を考慮し、普及制度について紹介するものです。今回は日本の普及制度のお手本になったアメリカの普及事業について紹介します。アメリカにおける大学と普及事業
アメリカでは、農業や家政学、機械工学、その他実践的な職業を市民に教育するために19世紀後半から数々の法律によって各州に土地付与大学や農業試験場が設置され、その後、1914年のスミス・レーバー法によって協同農業普及事業が制度化されました。来年は普及事業創設100周年ということになります。
「普及」という言葉は、英語の"Extension"から来ています。これは、アメリカでは普及事業の実施に州立の土地付与大学が権限を持っており、農民など地域の人を対象にした大学の延長(すなわちExtension)教育としていることに由来します。普及が教育であるというのはここから来ています。また、日本のように、対象を農民に限定していません。
普及事業とアメリカ農業の推移
アメリカの普及事業がアメリカ社会の中で大きな役割を果たしたのは、1929年に始まった世界大恐慌の際、大きなダメージを受けた農民に普及員がマーケティングや農産物売買のための協同組合の設立、農場での家庭菜園、余剰生産物の缶詰化、家禽の飼育などを教え、数年間生き延びるのを助けたことです。また、第二次大戦中には、銃後で食糧生産を38%増産し、家庭菜園での生鮮野菜を普及し、消費量の40%以上をまかなうまでに伸ばすことができました。
その後、農業普及は、農民に機械の大型化や化学肥料、農薬、ハイブリット種子などの新技術を広めた結果、効率的な農業生産が可能となり、農場経営は大型化していきました。その結果1950年には一人の農民が15.5人分のアメリカ国民の必要とする食料を生産していましたが、1997年にはほぼ140人分の食料を生産するようになりました。その反動としてアメリカの農場の数は1950年から1997年の間に、540万から190万へと劇的に減少してしまいました。
今日の普及事業の活動分野
現在、アメリカの普及組織が取り組んでいる6分野は以下のとおりです。
- ・4H青少年育成:実践プロジェクト活動を通して化学、数学、社会的技術などを学ぶ。
- ・農業:マーケティング戦略、経営管理技術の改善、作物病害の制御、土壌診断などを通して生産性を上げる農民を支援する。
- ・リーダーシップ:健康と安全、家庭と消費者の問題、4H青少年育成プログラムなどを伝達する普及の専門家とボランティアを訓練する。
- ・天然資源:天然資源の賢い使い方や水質、木材管理、コンポスト化、リサイクルなどの教育プログラムで環境保護を指導する。
- ・家庭と消費科学:栄養や食品調製技術、育児、家計管理、健康管理等を指導することで健全な家庭になることを支援する。
- ・コミュニティと経済発展:地方自治体を調査し、経済とコミュニティの発展のために目に見える選択肢を創造することを支援する。
大規模化の陰で置き去りにされた小・中規模農業
アメリカの国そのものが市場原理主義で動いている国であり、利益の出るものが残り、利益の出ないものは淘汰されるとの考え方が普通になっています。そのような視点から普及事業を見ると、特に農業生産に関しては、小規模~中規模を対象とするよりも、より専門化した大規模経営に特化し過ぎているのではないかという意見があります。第二次大戦以降、農業の普及事業は、あまりにも機械化と化学的技術の普及に夢中になってしまい、例えば化学肥料でN、P、K、Caの決められた量を施用することで生産性を飛躍的に増大させ、害虫や雑草は以前のように作物の選択や輪作などで管理しなくてもよくなり、農薬を適切に使うことで容易に制御できるようになりました。この意味で、当時の普及員は「魔法をもたらす」ことができたと言われています。
しばらくすると、機械化と化学的技術は、より少ない農民で多くの農畜産物を生産できることが明らかになり、1960年代、1970年代にはこの傾向が増々進み、農業生産の大部分は、非常に少ないパーセンテージの、基本的な農産品に特化した大規模な生産者の農業経営活動によって占められるようになりました。こうした大規模農場の農場主は地域の有力者であることも多く、普及の財源を決める州の委員会にも参加しているため、普及が支援せざるを得ないという状況にもありました。その一方で小規模・中規模の農場が農業普及員の支援から遠ざかっていくことになりました。
経済優先と持続的農業
市場原理主義は、一般的に個人の利益につながる投資のインセンティブを与えますが、社会の利益や将来世代の利益に対する投資にはインセンティブを与えません。単に経営の収支だけで導かれる農業は、環境や生物の多様性などへの配慮を欠き、持続可能な農業にはならないと多くの人々が思うようになりました。このように考えた農民は、経営収支は程々にしておいて、むしろ現在と将来の世代の幸福に対する社会的・倫理的責任を重視した農業として持続的農業を始めたわけです。
持続的農業を実践しているアメリカの農民は急速に増加し、オーガニックの食品市場は、例えば1990年代から2000年代前半にかけて毎年20%以上の成長をしており、売上高は2008年時点で約200億ドルとなり、全食品市場の4%にもなっています。このオーガニックに放し飼い飼育の畜産物、地元産の食品、ホルモンや抗生物質を与えていない食品、非遺伝子組換え食品といった自然食品を加えると、さらに50%増えます。
また、毎年アメリカとカナダで少なくとも6つの持続可能な農業に関する会議が開催され、参加するのはほとんど農民で、1,500から2,500人を集め活発に活動しています。
持続的農業を実践する農民の特徴
現在のアメリカの普及事業は、持続的農業を直接サポートしてはいません。持続的農業の推進に取り組むことになれば、普及は重要な役割を演ずる可能性を持っていますが、そのためには別の異なった普及プログラムが必要になります。現在は、持続的農業のための経験則や決まったやり方や、誰でもできる農業の実践マニュアルがありません。持続可能な農業は、本質的に現場に依存し、自然の生態系とコミュニティとの調和の中で機能しなければなりません。持続可能な農業を実践している農民の特徴としては、以下に挙げられるようなことが考えられています(Ikerd,2008)。
第一に、持続可能な農業を行っている農民は、自然をコントロールしようとするよりは、むしろ自然とともに働き、圃場の状態と気候に合わせようと努力します。また、多くの慣行法の環境を脅かす合成農薬や化学肥料、高価な投入資材への依存を減らすことができ、自然と調和して機能するので生態的にみて、より健全であり、経済的にも存立することができます。 第二は、持続可能な農業を行っている農民は、一人一人の顧客やコミュニティの人間関係を大事にします。彼らは顧客には異なったニーズと異なった好みがあることを理解していて、しばしば長期の関係を確立します。
第三は、持続可能な農業を行っている農民は、「生活の質を重視する」農民です。彼らにとって、農場は生活するための良い場所、すなわち健康的な環境であり、家族を育てるための良い場所、面倒見の良い地域社会の一部であります。隣人や顧客、農地、家畜に敬意を払うのは、それが利益をもたらすからではなく、倫理的で道徳的な行為であるからです。彼らは、許容できる範囲で収入を得ますが、より重要なことは、高い生活の質を持っているということです。
最後に、持続可能な農業を行っている農民は、考える農民です。彼らは、自然と調和して働くために、自然を理解しなければならず、また顧客や隣人、他の農民との関係を築くために、人々を理解しなければなりません。持続可能な農業は、観察から情報に、情報から知識に、知識から知恵に変換する能力が要求されます。
持続的農業と普及事業の見直し
アメリカの普及事業に長年携わってきたミズリー州立大学のジョン・アイカード名誉教授は以下のように述べています。
「持続可能な農業で大切なことは、農耕時代の重労働ではなく、情報時代の思考に依存しているということです。普及組織が彼らを支えるためには、ステレオタイプの技術指導ではなく、新しいアメリカの農民が自分自身で考えることをサポートすることです。
現在の農業普及事業は、主要農産物を生産する大規模化農場の技術顧問のような形になってしまっていますが、アメリカの普及事業は原点に帰り、農村コミュニティを支えている家族農場が生き生きと未来を考えた持続的な農業ができるよう意思決定をサポートできる活動体制にすることが重要です。そのため、『協同普及のための倫理規範』を1990年代に検討しました。 この目的は、大規模農場に囚われた農業普及員を、普及の対象とする全ての人々に平等に働きかけることができるようにするものです。本来の普及の役割である『農業生産者、アグリ企業、コミュニティなどが充分な情報を得た上での意思決定を助けること』をもう一度実現するためのものです。アメリカの普及事業におけるこのような見直しが行われることを強く望むものです。」
筆者もアイカード名誉教授が言われるように、日本の普及事業のお手本としてきたアメリカの普及事業が、普及の原点に帰って、小規模の農家も含め、考える農民をしっかりサポートできる体制になることを期待するものです。
主な参考資料
1.市田知子、先進国における農業普及の動向、農業総合研究、第46巻第2号pp134-157(1992)
2.Wikipedia, Cooperative extension service (2013.2.23取得)
3.John Ikerd, The Agricultural Extension System and the "New American Farmer", 2008年カウンティエージェント全国協会会議(グリーンズボロ開催)プレゼンテーション資料(2008)
http://web.missouri.edu/ikerdj/papers/Greensboro%20--%20Extension%20New%20American%20Farmer.htm(2013.2.20取得)
4.谷口佳菜子、20世紀初頭におけるインターナショナル・ハーベスター社の農業普及活動、長崎国際大学論叢、第10巻pp63-70(2010.3)
イギリスの民営化した普及事業とGAP
この連載記事は、GAPを普及推進するうえで重要な役割を果たしている普及指導員や営農指導員を考慮し、普及制度について紹介するものです。今回は民営化したイギリスの普及事業とGAPについて紹介します。
民営化の経緯
GAP普及ニュースNo.28~35 2012/9~2013/11