-日本に相応しいGAP規範の構築とGAP普及のために-

『消費者向け『農場から届ける食の安全・安心』GAP講演会』
『農産物生産段階でのリスク管理』―農業をずっと続けていくために―

田上隆一 株式会社AGIC 代表取締役

目次

《長崎県が、佐世保と長崎で開催(2013年11月)した「食品の安全・安心リスクコミュニケーション」で講演した『農産物生産段階でのリスク管理』の講演内容を連載します》

連載 その1

 食の安全・安心のためのリスクコミュニケーションで、GAP(ギャップ:ジーエーピー)の話をするのですが、食品の安全性を確保するためには多くの課題があります。一般にファーム・トゥー・テーブルという言葉が使われ、農場から食卓までの間に農産物・食品による危害があってはいけませんから,その間を一貫して管理するということです。

 現実的に考えれば、食べ物に関する最大の「リスク管理者」は食べる人です。食べる人は「腐ったものを食べますか」「怪しいものを食べますか」。ここのリスク管理を疎かにしてしまったら、食べる人自身が危険な目に合います。食材をどのように調理したのか、その前に、どのように保管していたのか、温度、湿度はどうだったのか、などの取扱いの問題も出てきます。そもそも、その食材をどこから買ってきたのか、さらには、その商店のバックヤードでは何をしていたのか、わけの判らないところで買ってはいないか、素姓の知れないものかどうか、その他いろいろな問題があります。さらに、途中の加工段階では問題はなかったのか、流通段階では問題がなかったのか、せっかく産地で予冷したのに、途中で常温に長く置いて野菜が結露した? 結露すれば農産物に付着した細菌が増殖するかもしれないが、その増殖のレベルはどうなのか?・・など、食の安全・安心のためには様々な問題があります。

 ところで、加工食品の取扱いとしては、商品に対して殺菌、除菌、無菌などという要求もありますが、収穫された農産物には無菌ということはありません。農産物には何らかの菌がいるものです。そもそも菌なくしては農業が成り立ちません。菌がいるから農産物が育つと思っても良いです。農場に菌がいなくなったら土壌が死んでしまい、農業の生産性は低下してしまいます。農作物は様々な微生物と関わって生育しています。ところが、そういう微生物の中には、大量に発生すると農産物を病気にしたり、腐敗させたりするものもあります。また、病原性の細菌では、ほんの少量でも「食中毒」という事件を起こします。ですから、このような知識を持って、そのリスクを限りなく減らすという対策をとることが大切になります。

  食品の安全・安心のためには、そもそも「『リスク認識』を持って農業を実践していますか」ということが問われます。農業に携わるすべての人が、汚染の原因と結果について理解し、「どうすれば食品危害を避けることができるのか」を、しっかりと管理している必要があるのです。食品加工の段階でも、食品流通の段階でも、小売でも、家庭でも、しっかりとリスク管理をすることが求められています。

 しかし、実際には、それでも問題は起こり得ます。そもそも原材料はどこから来たのかと問えば、農産物の種子、生産資材、あるいは様々な肥料とか微量要素とか、農薬とか、工業的に作られているものが多いのです。仮に、原材料の製造過程に問題があれば要注意ですが、これらの安全性を確認して作付けしても、畑や水田は、広い大地の中で、大気に包まれ、雨が降り、灌漑水を利用し、そして多くの微生物や虫などが活動する土壌の中で作物が育っているということですから、「その生産環境は大丈夫? 健康ですか?」ということを考えなければなりません。

 最近の話で端的なことをいいますと、「放射性物質が空から降ってきていたらどうする?」というような不安も含めて、自然環境の安全に関する心配事が出てきますから、「食の安全・安心は決められたことを適切に管理すればよい」というようなものでもないのです。一朝一夕には行きません。ですから、国を挙げてこの問題に取り組むということになるわけですが、私がこれから話すことの役割は、「農場から食卓まで」の農産物の流通経路の中で、その繋がりの最初の段階である農場の人たち「生産者」が「何に対して、どのように気をつけていけば良いのか」、そして、実際に「どのように実践しているのか」ということについて、消費者の皆さんにできるだけ分かりやすく説明するということが必要になります。

 そこで、このお話しのテーマに「農業をずっと続けていくために」というサブのタイトルを付けました。というのは、「もしかしたら農業がなくなるかもしれない」という前提で考えているからです。2つの要因で、農業がなくなるかもしれないと思っています。一つは、自然環境の問題です。近代的な農法が原因で「農業ができる状態ではなくなってしまうかもしれない」という恐れがあります。もう一つは、TPPなどで皆さんもご存じと思いますが、世界の貿易自由化の中で、何の保護もせずに「農産物の貿易を全く自由にしましょう」という動きがあるということです。現代の経済というものは、お金の計算ですから、「高いか、安いか」ということで社会や暮らしの選択が行われます。世界には毎月20万円貰わなければ生活できない国と、1万円で生活できる国があります。1万円で生活できる人たちの労働力は非常に安いので、そこで作られた農産物は圧倒的に安くなります。それが全てになれば、日本の農業は無くなるかもしれません。

 単純にいうと、そういう意味で農業が続けていけないということになったときに、私たちは食料を100%海外に頼っていけるのだろうかという心配です。そして、そのときにファーム ・トゥー・ テーブル(農場から食卓まで)の食の安全は「どうやって担保しますか」ということも、グローバル経済・社会を前提にした場合、考えていかなければならない問題だと思います。そういう意味で、サブタイトルを「農業をずっと続けていくために」というものにしました。

 そこで、最初に話しました「ジーエーピー(GAP)」の話です。農業の世界では、この10年間にGAPという言葉が農業関係者に知られるようになりました。しかし、その正しい意味が充分に伝わったかどうかは判りません。これは例によって、海外から来た「ヨコモジ」の略語です。「グッド ・アグリカルチュラル・ プラクティス」、グッドは「良い」です。その反対はバッドで「悪い」す。それからアグリカルチュラルは「農業の」、プラクティスは「行い、活動、実施,実践」などの意味で、農業をすること、農産物を作る行為をいいます。したがって、GAPは「農業の良い行為」「良い農業の行い」というような意味です。その「良い農業の行為」について、「農業はこのように在るべきである」という内容を記述した規範(あるべき行為の規則や法則)が作られました。それが「適正農業規範」「GAP規範」というものです。

 「適正農業規範」が問題になるということですから、その背景には「悪い農業」があるのかもしれません。「悪い農業」「良い農業」と言うのはどういうことなのか? そのことを考えないと、GAPの意味は理解できません。良い農業は、やって当たり前です。少なくとも農家は真面目に栽培し、農業関係機関も地域の農業振興のために頑張っているのですから、それは「良い農業」に決まっていると思うのですが、「真面目に努力するだけで良いのだろうか?」ということが問われるようになったのです。

 「なぜ今、あえてGAPとして問題視しなければならないのか」ということのキーワードは2つ、「農業が近代化された」ということと、その結果として「農業環境が大きく変わった」ということです。正しくは「自然環境の中の農業環境」です。「農業は自然利用である」という言い方もされますが、農業は全くの自然ではありません。むしろ「地球上で最初の環境破壊者は農業である」ともいえるのです。全くの自然の状態の環境を、人間の食べ物を作るために、人間によって作り変えられた自然ではない環境が農業ですから、ある意味では「最初に環境を破壊した産業が農業である」ともいえるのです。

 ここで問題なのは、近年「農業の行為自体も大きく変化した」ということです。農業がどのように変わったのかを見てみると、国連の人口統計では、地球の人口は、2013年8月に71億3000万人になったと推計されています。こんなに急に増えたのも50~60年前からです。ここ何千年もの間、地球上の人口は、1億人以下でした。20億人になったのは、わずか100年前です。ところが第2次世界大戦が終わった1945年以降、とりわけ1950年以降、人口統計のグラフは急傾斜で上昇するようになりました。

 このことと農業の関係を見ますと、今までは作物の栄養素である窒素・リン酸・カリウムという3つの主要要素が自然の中からしか得られなかったのですが、植物体を作る窒素成分が工場で作れるようになったのです。工業的に大量に作れるようになったので、作物に対して計画的に栄養補給ができるようになり、作物を安定的に生産できるようになり、人間は飢えから解放されました。空気の窒素が固定化できるアンモニアの工業化は、人類の繁栄に大きく貢献しました。

 充分に食糧を確保できなかった時代は、安心して子どもを産めなかったのですが、窒素固定化の発明とその工業化は私たちの大きな光明になり、「飢えが解消された」という意味では、人類にとって大きかったと言えます。ところが、窒素肥料の製造と使用も、行き過ぎると様々な問題が起こることが1970年頃から徐々に判ってきました。圃場に投与した窒素成分を作物が全て吸収してくれれば、作物の成長にとって良いのですが、吸収できないほど過剰施肥になると、農業の目的からすれば無駄ですし、大気中に蒸散したり、土壌中に溜まっていたり、あるいは水に流れていったりします。そのとき、大気が汚染されたり、地下水を汚染して井戸水が飲めなくなったり、川や湖が富栄養化してアオコが発生したり、海に流れて赤潮などで環境汚染が広がっていきます。それらは様々な科学的データで証明されています。

連載 その2

 作物の栄養素として使われる「窒素」は、その形態が様々に変化しますが、アンモニアでいるときには揮発し、大気汚染につながります。また、水田の土壌粒子に吸着していれば、代掻き後の濁水とともに河川に流れ出します。乾いた畑の中で硝酸態窒素に変化すれば、土壌中で雨水などに溶けて地下水を汚染します。考えてみたら、生産性の向上によって私達に幸せをもたらした化学肥料が、環境汚染という形では私達の不幸につながりかねないということです。

 具体的に見ていきますと、例えば、私の住む茨城県の霞ケ浦という湖は、最近では窒素とリンが多すぎる「富栄養化」で知られていますが、その水を筑波山に連なる小高い場所に調整池を作ってポンプアップし、学校のプール約1,000個分の水を貯めることが出来るようにいなっています。私の町では、その水を飲料水にも農業用水にも使っています。小貝川を横切る導水管は直径2.2メートル、長さ300メートルのパイプ2本で農業用水と都市用水を運んでいます。

 なぜそのようにするかというと、水利権がないからです。栃木県や群馬県、福島県などの、茨城県の河川の上流地域は水に恵まれているのですが、茨城県は平地が多くて山が少なく、耕地に供給する充分な水が蓄えられないのです。

 水利権というのはお金で買えるとは限りません。上流からの水が湖に入って、溜まったものを、今私たちは農業や飲用に使用しているのです。

 ところが、その水が窒素やリンで酷く汚れてしまっているのです。霞ヶ浦の水の窒素成分の原因の43.7%は農業が原因であると発表されています。一般的には工業排水や生活排水で汚染が進むものと思われがちですが、農業由来の汚染の方が遥かに多いのです。畑に投入された窒素成分には地下に浸透するものもあります。植物が吸収しなかった窒素成分は土壌中で形態が変化して硝酸態窒素になり、雨が降ったときにそれが溶けて地下に浸透します。地下には、私達が想像する以上に水が流れているのですが、その地下水が硝酸塩で汚染されるのです。

 汚染の実態はどうかと、地目別に調査した結果では、次頁の図のように、畑の約6割以上が水道水としての基準値をオーバーしていました。樹園地とは、ミカンやリンゴなどの果樹園のことで、5割近くが基準値をオーバーしているということです。農村集落や市街地などの生活排水などによる汚染よりも遥かに高いということを考えますと、広々として自然で美しい、良い空気で清々しい自然だと思っていた農業地帯の地下が、このように汚染された状態であるということが驚きです。

 水田の地下水が他のどの地目よりも少ないのは、水を張った田んぼでは、窒素成分はアンモニア態で存在していて、溶脱せずに土壌の粒子にくっついているからで、地下水を汚染することが殆どないのです。その代わり、皆さんはご覧になったことはあるでしょうか、例えば田んぼは、田植えの前に代掻きをしますね。代掻きではある程度の水が必要ですが、田植えをする際には機械作業の都合上、水は少ないほうが良いのです。そのため、田植えの直前に余分な水を排水することがあるのですが、その時には黒く濁った水が流れていきます。当然、土壌と一緒に肥料成分も流れ出てしまいます。これを防ぐために、最近では、浅水の代掻き、深水の田植えができる農業機械が普及しています。

 土壌流亡に関しては、「沖縄の海岸が真っ赤になっている、赤土が流れてサンゴ礁が破壊される」という航空写真をご覧になったことがあるかもしれませんが、土壌流亡は、自然資源保護の観点から大きな問題になっています。沖縄の場合の多くは水田ではなく、畦(あぜ)による対策が取りにくい「畑地」からの流出ですが、海に直結しているところが多いため、土壌流亡による海岸の汚染が深刻です。

 このことは分かってっているのですが、あまり問題にされてきませんでした。日本は雨が多いため水が豊富で、上水道を地下水に頼っている地域が少ないということもあるのかもしれません。ところが、長野県の新聞にこんな記事が出ていました。ダムの建設の計画が中止になったため、地下水を上水道に利用しようと、その水質を調査したところ、硝酸態窒素の量が多くて飲めないことが分かりました。これではいけないと、その市役所の市長は農協になどに「農家の皆さん、肥料を少なくして下さい。養豚農家の方は、家畜糞尿を流さないで下さい」というお願いをしたそうです。なぜなら、その地域の地下水の硝酸汚染の6割から7割は化学肥料が原因で、3割から4割が畜産糞尿に由来しているという調査結果であることが分かったからです。北アルプスの東側の山麓にあって風光明美で知られた安曇野市で、環境汚染とは無縁と思われたところですから驚きでした。

 地下水の硝酸塩による汚染は、今になって驚くことではありません。既に岐阜県の各務原市においては、1970年代に同じ問題が起こっています。住宅団地の造成で、大量の水道水が必要となり、地下水を上水道の水源にしようと市役所が取り組んだところ、とても飲める状態ではないことが判りました。水道法によれば、硝酸性窒素(硝酸態窒素及び亜硝酸態窒素)は、水1リットル中に10mg以上あってはならないという基準になっています。これが飲料水の要件なのです。ところが測ったら30mg近くあったので、これが大問題になりました。詳しい調査の結果、大きな原因は、この地域がニンジンの産地で、一般に10アールあたり30 kgの肥料を投入していたことなどがその原因と考えられました。

 その後の研究で、肥料の投入量を12 kgに減らす実験をしたところ、収量は変わらず、汚染が減ってきたということでした。原因がわかれば、汚染を解消するためには、その原因を元から断つことが必要です。全ての農家の皆さんに協力を求めて、肥料を減らした栽培方法を続けた結果、10数年経って、30mg近くあった硝酸態窒素の値が、15~20mg程度になったということです。

 これらのことから、農業についていろいろ学ぶことができます。「このニンジンは安全です」と言っても、そのニンジンの生産過程で環境が汚染されたら、それは「暮らしの安心にはならない」こと、まして「水が危ない」国は持続不可能な国です。これまでどおりの良い農業-生産性を上げる農業-を、ただ真面目にやっていれば良いということではないことを理解しなければなりません。私達は地球の全ての環境と関わって生きています。ですから、環境負荷を低減した農業、循環型の農業、持続的な農業が求められているのです。

 こういう問題に関して、科学者も分かっていたし、政治・行政側も分かっていたはずです。ですから、早くから「持続可能な農業」が称えられ、「エコファーマー」の制度や「特別栽培農産物」の制度などが作られ、有機農業を志ざす産地や農業生産者も増えてきたのです。しかし、環境保全を実現するための社会システムや経済体制をバランスよく整えることが出来ずに、日本では未だに持続可能な農業は「非常に困難な課題」と考えられています。

 社会的・経済的な対策を整えて持続可能な農業を推進することに関しては、ヨーロッパが早くから取り組み始めました。1985年頃から、特にEUでは1990年代に、積極的な農業政策として、「農家の皆さん、環境保全に努めて下さい」ということを重大な農業政策として実施してきました。その際の説明では、「圃場は面汚染源である」と言っています。そして「その累積した影響は甚大である」と欧州のGAP規範で説明しています。

 環境問題の本を開いてみますと、環境汚染の原因になるもの、例えば化学物質や重金属、放射性物質、家畜糞尿の窒素成分などの物質が、環境中に流れ出す場所を汚染源といい、それが一定の場所に限られていれば「点汚染源」と言います。その場合は、工場施設などの排水口や、煤煙の出口である煙突などを抑えて浄化できれば環境は守られます。しかし、作物を栽培する圃場は広い範囲に亘っていて、そこにたくさんの肥料や様々な化学物質が投入されて、辺り一面に広がっていますので、これを「面汚染源」と表現します。作物にとっての栄養成分や病気に対する薬剤は圃場一面に広がっている状態ですから、それらの物質が一定の水準を超えると人間にとって有害な効果をもたらすことになります。少しずつであっても圧倒的に広い面積に広がっている物質は除染のしようがありません。ですから、できるだけ使用量を減らす以外にないのです。ここにこそ農業における最大の環境問題があるのです。

COMMISSION STAFF WORKING DOCUMENT on implementation of Council Directive 91/676/EEC concerning the protection of waters against pollution caused by nitrates from agricultural sources based on Member State reports for the period 2004-2007, (2010)

 ヨーロッパ、特にイギリスでは、流れている川のうちの約7割は硝酸塩で汚染されているといわれ、その約6割は農業が原因だと分かっています。そのことを社会的に明らかにし、「生産者が理解した上で適切な農業に取り組むべきです」と、英国のGAP規範では解説しています。その結果どうなったかをEU全体の右の図で見てみます。

 今EUに加盟している28カ国のうちの27ヵ国が1950年から2007年までに使用した化学肥料の3要素(窒素、リン酸、カリ)の量の推移です。1970年代になって、ここから赤い線、窒素だけがぐんと伸びている。これは日本でも同じような傾向なのですが、1970年頃になると国内の需要が満たされてきたのです。そうなると、工業立国を選んだ日本は別ですが、余剰農産物は輸出に向けられ量産体制になりますから、窒素の使用量がどんどん伸びてきたということがあります。その結果、農業が原因の環境汚染が目立ってきて、日本でもそうですが、世界的にさまざまな対策が考えられ始まったのです。1980年代には、先進諸国では環境保全型農業が称えられ、生産者に肥料を減らす呼びかけがされたのです。しかし、農家にとって実害は見え難くい上に、「肥料を減らしたら収量が減って収入が減る」という問題が解決できないのです。

 そこでEUは1991年に「硝酸指令」という厳しい法律を制定しました。いわば「窒素撒き過ぎ禁止令」です。草地で10アールあたり17 kg以上の家畜糞尿スラリーを散布してはいけないとか、作物が吸収しない冬の間に肥料を撒いてはいけない、また、取り扱いや保管の制限など非常に厳しい規制が設けられました。同時に化学農薬を規制する「作物保護指令」も制定して農業の規制をしています。これらの順守によって、環境負荷をかけない農業に転換するためにEUは、農業補助金政策を抜本的に見直しました。これまでの「農産物価格支持政策」から「農業環境政策」に大きく舵を切ったのです。

 補助金や罰金(過料)に関わりますから、GAP規範の順守は厳しく査察されます。そのために生産者は、農業の計画と実施の厳密性が問われます。例えば栽培するニンジンが標準的に12Kgの肥料を吸収する場合に、12kgの肥料を投入してはいけないのです。土壌中には草や作物の残渣などが窒素成分に変換したものが存在しています。その上に土づくりのために家畜ふん堆肥を投入すれば、そこにも多くの肥料成分特に窒素が存在しています。これらのすべての量を検査・分析して、それらが12kgに満たなければ、その不足分が肥料として投入できる量ということになります。すでに多すぎる場合には、栽培を中止して栄養成分を吸収するための植物-クリーニングクロップ-を栽培しなさい、と非常に厳しい法律なのです。このような科学的な根拠を元に農業を実践することが適切な農業つまりGAPです。

 その結果、5年間でいっきに使用量が減りました。化学肥料の使用量が半減し、それでヨーロッパの農業生産性がひどく下がったかというと、そうはなっていません。EUでは農産物の輸出国が多いし、オランダの施設園芸は世界ナンバー1といわれています。量的にだけではなくて質的なものとしてもね。このように、農業のあるべき姿(GAP規範)を示して、それを実施する政策がとられれば、問題を解決できるということが、このことで証明できると思います。

連載 その3

排出する危害物質と流入する危害物質

 日本は、耕地面積の半分以上が水田です。水田で利用された水は再び環境中に出ていき、下流の水田でまた利用されることが一般的です。この水には様々な物質が含まれていて、排水路に流れ、そして河川に流れていきます。

 物質の中には窒素やリン酸などの栄養成分や、除草剤などの化学農薬が含まれたり、上流が鉱山やその跡地だったりすると重金属なども含まれているかもしれません。生産者の人達には、そういうものが含まれ、流れて来ているということの認識がなければならないのです。

 農業環境技術研究所は、富栄養化した茨城県の霞ヶ浦に流れ込む一級河川の桜川の水に含まれる除草剤の調査を行いました。流域は殆どが水田地帯で、その水田で使われた除草剤が河川に流出し、湖に流れ込む様子を各地点で計測しそれが検出されるかどうかの調査です。どこの農家もお金は惜しいし、無駄なことはしたくないです。ですから、除草剤を使ったらしっかり畔を管理して漏水のないようにし散布後は止め水をします。実際にそのようにしているはずなのですが、4月、5月、6月と、河川の各地点で農薬が検出されるのです。一体どういうことでしょうか。

 考えてみて下さい。例えば、春になり、乾いた田圃に水を入れます。すると、水を入れていない隣の田んぼも徐々に黒く湿ってきます。つまり、水は土で固めた畦も抜けて通るのです。そして、水の分子と同じように他の化学物質も一緒に漏出していくのです。田んぼが排水路に隣接していれば、少しずつですが染み出していくことにもなります。それでは、農家の皆さんは「どうすれば良いのか」ということになります。これまで以上にしっかりとした管理技術が求められているのです。

 その上、特に東日本では、福島第一原発の事故によって放射性汚染物質がまき散らされてしまったという問題があります。これは農家の責任ではありません。しかし「農場から食卓まで」という食の安全確保の面から「農場としてどうすればよいのか」という問題が現実に付きまとっています。自分の水田が放射能で汚染されているかどうかを調べなければなりません。水田土壌の中の放射性セシウムの基準値は5,000ベクレル/kgです。

 放射能の問題については特筆すべきことがあります。放射性セシウムの基準値(牛用飼料100ベクレル/kg)を超える稲わらを食べた牛が、島根県で4626頭いたことが分かったのです。その稲藁は宮城県から買ったものでした。農業は経済活動ですから、コストをかけない方法をとることが普通です。遠くからのものでも、その藁の方が安ければそれを選びます。しかし、今まででは想像もつかないような放射性セシウムが入っていたということで、しかも、個体識別番号で判明した4626頭のうち、2996頭は「流通先が不明」という新聞報道がありました。

欠かせないリスク管理

農業ではリスク管理が欠かせません。農家は「真面目にやってさえいれば大丈夫」ということではないのです。外から入ってくる様々な物質や、農場の環境中にあるものや、農業用資材などについてのリスクを常に意識し、その危険性を把握していないと、最終的な消費者の期待に応えられないということになります。リスクとは「危害要因とそれが発生する頻度の積」のことで、危害を起こすかもしれない原因物質があっても、「人間が一生食べ続けても問題がない」というのであれば、とりあえず安心できます。問題はその程度です。「これはだめよ」というレベルについて、様々な物質の個々のリスクについて認識しなければならないのです。

 農家の認識だけではなく、「社会の体制やシステムが整わなければできない」という問題もあります。特に、食の安全では、農薬を気にする人が多いのですが、農薬は非常に高いレベルで管理されているものです。例えば、1950年頃から、化学農薬が化学肥料と同じように農業の生産現場に登場しました。その頃の農薬はすごく効いて「害虫を撲滅してくれる」「これは効くぞ」と喜んでいたその人間にも効いてしまいました。その後、1971年の農薬取締法の大改正によって、危険度の高い農薬はなくなりました。また、2001年ストックホルムの国際会議で、残留性有機汚染物質(POPs)という残効性が特に高い有機リン系農薬などが製造、販売、使用が禁止になりました。ですから、昔の農薬についての危険性を知っている人が、現在も同じ認識でいる必要はありません。1971年を境に、それ以前を近代農薬、それ以後を現代農薬と分けられるほど、現在は科学的に管理されています。

 さらに、2003年には、これまでとは違った改訂がありました。古い農薬取締法は、作る人、輸入する人、売る人に対する法規制でした。ところが、新しい改訂では、使う人に対して様々な義務を課すもので、義務に違反すれば、罰則も課すことができる厳しいものになりました。同じ年に「食品衛生法」が改正されました。農家は「農薬取締法を守ればよい」ということではなく「食品安全の結果責任を持ちなさい」ということになりました。「食品衛生法」では、「農産物を食品として販売する」ことについての結果に責任を持つということです。仮に農業者の責任ではなくても、出荷した農産物から国が決めた基準値を超える農薬が検出されたら、それは「出荷者の責任ですよ」という、いわば無過失責任主義です。ポジティブリスト制度と言って、一つ一つの農産物ごと、一つ一つの農薬ごとに残留基準値が決められたのです。そのため、農業生産の現場では、登録農薬がない農作物にとっては大変なことになりました。生産量が少ないもの、もともと日本にあった美味しい作物でも、生産量が少なく珍しいものなどに対しては、農薬会社が農薬を作っていないことも多く、現実には農薬を使用できないことになってしまいました。これは社会制度だからやむを得ないということですが、心配なのは、農家が一生懸命リスク管理していても、隣接する畑で使った農薬が「風に乗ってこちらの畑の野菜に掛かってしまう」というリスクも考えなければならないということです。知らずにそういう野菜を販売すれば、「食品衛生法」に違反します。

農業の規範を守ることがGAP

 こういう問題に関してどのように対処するのかは、地域の中で良い解決法は中々ありません。ですから、地域の生産者の皆さんが「お互いに作付けした作物を登録し合う」とか、「農薬を散布するときは知らせ合う」とか、そういうことを地域農業の適切な実践(GAP)としてGAPに取り組んでいるというのが実情です。

 考えられる限りの身の回りにあるリスクを発見し、それを分析・評価して必要な対策と管理を行うことが今求められる農業のやり方、つまりGAPということなのです。このポジティブリスト制度ができる前と後ではGAP(良い農業の実践)が変わりました。GAPは時代によって変わりますが、正確には「時代によって価値観が変わる」ことで、「農業の規範」が変わるということです。その規範を遵守することがGAPなのです。農業に関する規則や規範を知らずに、これまで通りの農業の習慣でいれば、その人はGAPではなくて、BAP(Bad Agricultural Practice)、即ち「不適切な農業行為」になってしまいます。GAPのGはグッドです。グッドの反対がバッドで、BAP(バップ)になります。その結果として「不適切な農業」になっても困ります。食品衛生法で残留農薬の基準値を全部決めたポジティブリスト制度は、2006年の5月29日に施行されましたから、5月28日まではGAPだったのに「29日からはBAPだ」ということも起こりました。そのような規則をしっかり管理していくこともGAPの重要な課題です。

正しいリスク認識とリスク管理

 法律改正の後、県も国も抜打ちで農産物の残留農薬検査をしますので、様々な事件や事故が明らかになっています。法改正以前には事件にはならなかったことです。例えば、2006年に北海道の農家の南瓜からヘプタクロルという物質が検出されました。それは40年前の農薬取締法の大改正の際に使用できなくなった農薬なのに「なぜ?」「いやいや、そんなもの誰も使っちゃいませんよ」ということでしたが、検出された背景が分かりました。北海道は、昔、多くの畑でビート(砂糖大根)を作っていました。この物質は当時の土壌消毒剤で、連作すれば害虫の被害が大きくなるということで使用していましたが、1972年に禁止され、以後は使用していないはずです。とにかく対応としては、全ての南瓜が廃棄処分になりました。流通している南瓜200トンは回収され廃棄されました。新聞によると、その後、北海道の農協の自主検査では、全出荷量の6.6%から検出されたとのことです。原因は、40年以上前に使ったものが畑の中に残っていたということです。一旦環境が汚染されてしまうと、簡単には元に戻らないということです。土壌中で分解しないでいつまでも残留しているヘプタクロルは、POPs(残留性有機汚染物質)に指定され禁止になっています。しかし、その薬剤によるリスクがなくなったわけではないということを知っておく必要があります。そして、これを防ぐためには、栽培作物の転換、低吸収性品種の利用、活性炭資材の土壌混和などの対策が必要になります。

 東京都が2002年に814ヵ所で調べたところ、約1割から有機リン系の薬剤が検出されたという報告もありますから、私達は、土壌も、大気も、水も、科学的な手法で調査して、リスク評価を行い、適切な対応策をとるリスク管理をしなければならないということになります。農作物によっては「その成分を吸収しやすい」とか、あるいは「吸収しやすい環境状態にある」とか、いろいろ研究されています。放射性セシウムなどもそうですが、それぞれの個別のリスクを評価し、適切な対応策を考え、管理しなければならないということです。

 その意味では、現代の農薬は、良く管理されていれば大丈夫といえます。例えば、胡瓜やトマトを生産する農家が、夏にはよく消毒作業を行いますが、その際に使用する薬剤の多くは、収穫前日数が「前日」というものです。これらの薬剤は、使用後24時間経てば分解して、人間の健康には害にならないとされています。そのように毒性の少ないものが使われています。

連載 その4

食中毒と消費者不安

 アメリカで最も関心の高い食品事件は病原菌による食中毒です。「トマトに付着したサルモネラ菌で重傷者が続出、マクドナルドやウォールマートで取扱い中止」とか、「包装されたホウレン草を食べてO-157に感染」、「選果場に持ち込まれたリステリア菌がメロンに付着、食べた人33人が死亡」などという米国食品医薬品局(FDA)発表のニュースが目につきます。

 多数の死者が出るような大きな事件が相次いでいますが、欧州では 2011 年に 50 人が死亡する食中毒事件が発生しました。初めスペインの夏野菜が疑われ、最終的にはドイツ北部の地方都市の農家が廃棄したモヤシから病原菌が発見されたため、原因と思われるエジプトの豆の輸入を禁止し、一件落着になったと聞きました。食中毒そのものは収束したのですが、原因や経路が明確になった訳ではありません。そういう問題があるから食品の安全性に疑問を持ち、社会の大きな問題となるのです。つまり、わからないから不安になるのです。

 同じ年、日本では焼肉チェーン店を利用した人が、同じ腸管出血性大腸菌O-111による食中毒を起こして4人がなくなっています。日本での腸管出血性大腸菌による食中毒事件の例を見ると、1996年に小学校の給食に出された貝割れ大根を食べて7,966人が中毒して3人が死亡した事件以来、毎年と思われるほど事件が発生しています。「腸管出血性大腸菌O-157による食中毒の原因と患者数等」の表によれば、2012年の白菜の浅漬けを食べて感染した人は169人で、そのうちの8人が亡くなっています。原因となる食品はある程度推定されていますが、汚染の経路や原因は明らかになっていません。人が口にする前に食物に付着した病原菌が増殖するのは、加工段階ではないかと思われる例が多いのですが、生産段階までは遡れてはいないようです。

 腸管出血性大腸菌は、牛などの動物の腸管に生息している大腸菌のひとつで、家畜の糞などを介して感染が広がります。熱には弱い菌ですが、人の体内に入り、ひとたび発症すると、激しい腹痛と血便の症状が現れ、重症になると溶血性尿毒症症候群を併発します。これまでの報告では表にある果物やサラダや漬物などの野菜のほか、牛のレバ刺、ハンバーグ、牛のたたき、ローストビーフなどの牛肉料理からも見つかっています。

 化学農薬や化学肥料の成分も、食中毒細菌などの病原性微生物も、目には見えません。私達が食品の安全性確保のために戦っている対象物は、全て目に見えないものなのです。目に見えない食品危害要因にどうやって立ち向かっていくのか、このこともGAPの重要な課題です。

食品の安全性は競争ではなく、協同で確保する

 農産物の安全性確保は、生産から流通までの全体で取り組むことが必要です。例えば次の図は一般的な食品流通の流れで、完全なトレーサビリティを求める図です。その上で、消費者に販売するスーパーマーケットやコンビニエンスストアに求められることはGRP(Rはリテール:小売)です。運送会社はGDP(Dはディストリビューション:輸送)です。その前の食品加工会社はGMP(Mはマニファクチャー:製造)です。そして当然農業生産はGAP(Aはアグリカルチャー:農業)ということです。サプライチェーンの全ての段階で「G*P」つまりグッド・プラクティスでなければならないということです。それぞれの段階でリスク評価を行って、対応策を講じて記録に残し、チェーン全体を通してリスク管理ができたときに、食の安全が担保されることになるのです。

 今や、チェーンのどの段階においても「G*P」(グッド・プラクティス:適正管理)であることが、世界の食品業界で求められるルールになっています。GFSI(グローバル・フード・セイフティ・イニシアチブ)という団体は、併せると世界の食品販売の7割ぐらいを占める企業が加盟していると言われていますが、そこでは、食品安全認証制度を統一することで、どの企業でもどの国でも通用するという規格の国際標準化を推進しています。農業分野ではGLOBALG.A.P.という農場認証制度がその代表的なものです。グローバル企業がバイイングパワーを発揮して、生産段階に対しても世界規格の農場認証(GAP認証)を求めるという厳しい要求を出してきています。これから流通制度に乗せて農産物を販売する農家は、頑張ってGAPに取り組んでいくことが必要になります。

 GFSIからの要請などもありますが、欧州の食品取扱業者は、それ以前からEUの包括的な商品安全規則で、HACCPなどの自己管理プログラムを実施するか、BRCなどのGMP認証を取得しなければならないことになっています。また、アメリカでは食品安全法によるFDAの強制的な監査があります。日本でも政策的にHACCPが推進されていますが、EUのようなすべての食品業者の義務にはなっていません。農業生産者のGAPも同じで、今のところ行政は取組みを推奨するだけです。強制か自主性かはいずれにしても、どんなに努力しても食品の安全を保障することはできません。安全性の確率をどう高めていくかが流通の各段階での課題なのです。

労働安全はGAPの優先事項

 「安全」の反対は「危険」です。「危険」の度合いはリスクです。農業生産で起こるリスクをいかに減らしていくのかということがGAP(適切な農業管理)の最大の課題です。リスクの点で日本的農業事情には考慮しなければいけないもう一つのGAPの課題があります。

 日本では、農作業中に毎年約400人が死亡しているのです。2013年8月の最後の週に、私は沖縄の宮古島で農業改良普及員のためのGAP実践研修会を行っていました。労働安全問題に関して「作業中に危険を感じたことはないですか?」「危険な道具や機械や場所はありませんか?」と質問したところ「この島で去年農作業中に死んだ人がいる。今年も死んだ。今年は隣の人」ということでした。隣の72歳の人が、ラッキョウの植付けのために耕運に行ったが、夕方になっても帰ってこないので、奥さんが心配して畑に行ったところトラクターのエンジンの音が聞こえた。しかし、ご主人の姿が見えないので後ろに回ってみたらロータリーに巻き込まれて、顔も判別できないような状態で亡くなっていたということです。身近にそんなことがあるとは余りにも驚きですが、そういう死亡例が日本中では年に約400件はあるのです。

 次の表は、農作業中に亡くなる人の数で、毎年400人ですから、ハインリッヒの法則によれば、農作業事故にあっている人は11,600人になり、ヒヤリハットの件数は12万件にもなることになります。農業がこれほど危険な産業であることを知った時、消費者の皆さんは農業についてどのように思うのでしょうか。農家が危険な状態の中で、命懸けで仕事して「食品安全を確保しろ」とは誰も思わないはずです。農業の人権問題として見直さなければならなのではないでしょうか。

 この事態を他産業と比べてみますと、農業で年間400人ということは、農業者10万人当たり11.8人です。これに対して、農業も含めた日本の全産業の10万人当たりの死亡者は3人であり、約4倍の差があります。規模の大きな企業的な農業をしている農場では、このようなことはありません。家族による零細な農業では、雇用関係が少ないことなどから事業者の社会的責任ではなく、全てが自己責任で行われているということになるわけです。ですから被害は一向になくならないのです。この問題を解決しなければ日本農業の持続可能性は絵に描いた餅になってしまいます。持続可能性は、環境と社会と経済のバランスが取れていなければならないと言われていますが、農業の持続可能性では、農業者の命と経済は優先して守られなければならない課題です。したがって、特に日本においては、GAPの目的である良い農業の要件の中には、労働衛生や作業安全および福祉の問題も入れなければならないのです。

連載 その5 GAPは21世紀農業の実践プログラム

20世紀農業繁栄の影の部分を解消するのがGAP

 ここまで私が話してきたことを振り返って「今なぜGAPなのか」「なぜGAPとして意識しないといけないのか」ということを図にまとめました。

 科学技術が発達して、農業における機械化も進み、肥料や農薬などの化学資材を使うことによって、農業はものすごく生産性が上がりました。これは人類にとっての大きな光です。

 ところが化学肥料を必要以上に使って土壌が劣化しました。あるいは硝酸塩による汚染で地下水が飲めなくなりました。それから農薬で土壌が汚染されました。農薬が使用後45年経っても畑に残留していて、農産物の農薬残留基準値を超えるような剤があったことが分かり、法令違反になるという問題が起こりました。

 これらに至る経過として、経済主義とそれによるグローバル化の一層の進展ということも関係していると思います。つまり、その地域で採れたものを、そこの人達だけで食べていれば問題は少なかったのですが、今は世界中から安い農産物が入ってきます。そして、国境の壁を越えた食品流通により、BSEやO-157、サルモネラなど、様々な病気や食中毒や、場合によっては故意に毒物が混入される事件など、世界中で広範囲に起こる食品事故が見られるようになりました。

 イギリスで「クロイツフェルト・ヤコブ病という気味の悪い病気が発生した」と思っていたら北海道や茨城で腰の立たない牛が出てきました。「牛から人に伝染する病気なのか」と思われましたが、そうではなかったようです。和牛として日本独自の牛を肥育していますが、しかしその牛肉の元となる牛の餌は大部分が輸入されたものです。低コストには勝てないのでしょうが、その中に牛のくず肉や骨などを乾燥した「肉骨粉」があり、しかも、その中にBSE(牛海綿状脳症)のプリオンという病原体が入っていたというのです。

GAPは人と環境に優しい農業

 そういうグローバルな経済社会におけるリスクの広がりというのを、私達は考えなければならなくなりました。「農家の責任ではない」ということですが、結果として、こういった事件も、繁栄の影の部分としての「環境破壊」の結果であり、その「健康被害」です。この問題を明確に意識して、その結果を具体的に認識して、そのリスク評価を行い、それに基づいてリスクに対応しなければならないのです。それが、今や求められる「良い農業のやり方」即ちGAPということなのです。

 求められる「良い農業のやり方」、GAP、グッド・アグリカルチュラル・プラクティスは、「環境と健康のために食の安全性を確保し、農業を持続できるようにすること」がその目標です。つまり「人と環境に優しい農業」ということなのです。

戦後の農業政策の180度転換がGAP

 GAPの由来について知り「GAPの意義」を理解したら、次は「GAPの意味」について考えてみましょう。GAPは、政策的な位置づけでいいますと、1993年、日本も世界の流れに遅れることなく、環境を大切にする政策の根幹を示す「環境基本法」が誕生しました。その法律に基づいて、これまでの農業の法律を抜本的に見直して、1999年には全く新しい思想の「食料・農業・農村基本法」に生まれ変わりました。1961年制定の「農業基本法」が戦後日本の農業の形を作ってきたのですが、それを180度転換して「生産性の向上」ではなく、「環境と調和のとれた農業」を目指すことになったのです。

 これまでの農業は、食糧難の時代に食料増産、高度成長期における農家の所得拡大などが目標とされて、科学技術を駆使して農業の近代化が行なわれてきたのですが、新農基法(食料・農業・農村基本法)の下での基本計画では、日本の農業生産活動全体の在り方を「環境保全を重視したものに転換する」と宣言し、農業者が環境保全に向けて取り組むべき最低限の「環境と調和のとれた農業生産活動規範」を策定したのです。

 また、2010年には生産者の具体的な手続きにも言及するGAPのガイドラインが作られました。この中で、GAPは農業者も食品工業などと同じように「生産工程を管理することが必要である」としてその手法が示されました。それは、環境に関しても、消費者に安心してもらうためにも、農業者は土づくりに努め、化学物質を使いすぎない、環境にやさしい農業を行うよう推奨しています。土づくりは、必ずしも肥えた土というだけではありません。管理が不適切であれば、土壌や地下水が汚染されるのですから、そうならないために、合理的、効果的で効率的な土壌管理、施肥・防除体系を考えて、環境重視の農業にすべきであるというのが、現在の日本の農業政策の主流になっているのです。

GAPは持続可能な農業への取組み

 農林水産省は、環境保全を重視した農業のあり方について図示しています。農機具などで鎮圧されることによって土壌が劣化する。肥料による一酸化二窒素(N2O)でオゾン層の破壊につながる。一酸化二窒素は、二酸化炭素(CO2)の300倍の温室効果をもたらす。硝酸性窒素で土壌が汚れ、地下水や河川が汚染される、農薬の不適正使用では、土壌汚染や野生生物への危害により生態系が乱れる。水田から発生するメタンガスは温室効果を発揮する・・などです。

 農薬汚染では、小川に棲むドジョウやメダカなどが話題になりますが、食物連鎖を考えると、魚の餌となるプランクトンやさらに小さな微生物の方がより弱い立場です。この微生物がいなくなれば、農業そのものが成り立ちません。とりわけ土壌中には何億もの微生物がいるといわれていますが、これらがいなくなれば農地ではないのです。ただの泥です。泥では作物を栽培できません。土壌は、岩石が風化した土の他、水や有機物、微生物などによって作られています。ですから、農業者は有機質資材を土壌に入れる努力をしていますが、有機質資材もただ入れれば良いということではなく、微生物が死んでしまうようなことではいけないのです。

 農薬を使う者が守らなければならない「省令」があります。「生きとし生けるものを大事にしなさい」ということが記述されています。土壌を汚染しないこと、水生動植物に害を与えないこと、人・畜や作物などに害することがないようにすること、飲み水に使うような水が流れる河川を汚染しないこと、これらが農薬を使う人に課せられた義務です。

 農業者は、健全な農業をする「GAP」でありなさい。そして、GAPでは、法令遵守と、その行為が科学的に実証できるものであることが望まれています。日本の伝統的な農業では、特別に意識しなくても「省令」の主旨が経験的に守れるように比較的に良くできていたものです。

 しかし、近代農業では、そこに新たな化学物質が大量に投入され、その結果、農業の生産性は飛躍的に向上しました。しかし、一方で、それらが行き過ぎたときには、農業そのものが環境破壊や健康被害の原因となるかもしれないのです。ですから、そうならない「持続可能な農業」に努めなければならないのです。

連載 その6

GAPは新たな農業倫理

 農産物の低コスト・大量生産は、産業としての農業が目指すべき方向性です。しかし、低コスト・大量生産の経営理念は、「自然環境の保全」や「食品の安全性」を保証するものではありません。また、その経営方針は「CO2の削減」にも「生態系の保全」にもつながらないのです。「安全はお金では買えない」という言葉があります。コスト節減ばかり強いている会社が事故を起こしやすい、というようなことも耳にします。農業においても同じことで、企業の社会的責任や企業倫理が問われているように、今、農業倫理も問われているのです。GAPは法令遵守だけで達成できるものではありません。新たな農業倫理が必要なのです。

 しかし、そうはいっても、理念や理想あるいは倫理観だけでは、人間は活動できませんし、社会も変わりません。「理想に燃えた今年は頑張れたが、来年は続かない」では困るのです。だから、経済的動機をどう作っていくかが問われることになります。「環境支払」などの納税者負担でGAP関連の経費を賄うことになれば、GAPには国民的な理解が必要になるのです。

 ヨーロッパのEU共通農業政策では、GAPを「市場では交換できない自然環境、景観、地域文化などの社会的資産としての価値に損害を与えない人間活動の取組み」と考えているのです。このような農業者の取組みに対して「納税者が負担する」、つまり税金で農業者の所得を補償するということです。貧困な農家を救うというような話ではありません。もちろん所得が減り続ければ農業経営は持続できません。グローバリゼーションで貿易の自由化がますます進展し、先進国では巨大な農業関連企業しか生き残れないというような傾向がない訳ではありませんが、EUでは、戸別農家の所得を補償する理由として、生産者は自然環境や景観などの「お金では換算できない社会的資産としての価値を上げている」ので、これを納税者が負担するという考え方なのです。

政策GAPの体系

 下図は、GAPの政策原理と農業者の位置づけです。例えば、環境汚染が極端に酷い場合には、発生源が優先して改善される「汚染者負担の原則」で、当事者である農業者が負担します。政策としては、規制を強化し、場合によっては罰則を科すことも必要でしょう。

 次に、肥料、農薬などの化学資材の過剰使用などの農業技術由来の汚染に対しては、農業者への啓発やGAPの指導などによって、これまでのバッド・プラクティス(悪い習慣)を止め、適正農業管理、つまりGAPを推奨する政策が必要です。この上更に、農業者が生態系の保護や環境の保全を自発的に行う場合は、生産者補償の政策をとるべきです。

 OECDにおける農業政策を巡る議論では、GAP基準を超える環境・農業の質の向上を生産者に求める場合には、政策の介入、つまり農業者に対する補助金の政策が正当化されています。そうしなければ農業由来の環境破壊が続くことになってしまい、持続可能な社会の実現が難しくなってしまうでしょう。

GAPは持続可能な農業への取組み

 日本の農業を前提にしてお話をしましたが、このような農業政策は世界共通の課題です。持続可能な農業への取組みでは、日本は非常に遅れていて、具体的な取組みとしてはヨーロッパから20年ぐらい遅れていると私は個人的に思っています。農業のグッド・プラクティス(GAP)の概念が作られて、窒素撒き過ぎ禁止令とも言える「EU硝酸指令」が制定されたのは1991年です。2000年になると「行政が作った『適正農業規範』が守られていること」を取引条件とする商業上の検査や監査が行われるようになり、現在では、食のグローバル企業によって世界規模で普及し、認証制度の標準化が進んでいるのです。

 国連の食糧農業機関(FAO)は、世界的に普及したGAPについて概念の規定をしています。FAOによれば、GAPの目的は、①安全で健康的な農業(食品と非食品)分野を守ることであり、②同時に農業者の経済的な利益も確保することが必要であり、③社会的にも環境的にも持続可能な農業を作りあげることであると言っています。

持続可能な発展は世界の共通目標

 これは、国連の「環境と開発に関する世界委員会(WCED)1987年」で確認された「持続可能な発展」の農業版です。「持続可能な社会」は、「将来世代のニーズを満たす能力を損なうことなく、今日の世代のニーズを満たす社会」という意味で、1992年にリオデジャネイロで開かれた「国連環境開発会議(地球サミット)」で、持続可能な発展は、持続可能な社会に向けて「環境・経済・社会という3つのバランスを考慮する必要がある」と規定されています。

 日本では、持続可能な発展に関する「環境基本法」が1993年に制定されています。その基本理念は、「自然資源の消費を抑制して環境への負荷をできる限り低減する」ことであり、農業分野では、「環境負荷低減型農業」「循環型農業」「持続的農業」等を推進することが閣議決定されています。

 しかし、日本で持続可能な農業が方向付けられたこの時点では、Good Agricultural Practice(GAP:適正農業管理)の概念が確立されていませんでした。GAPという言葉が日本に入ってきたのは、21世紀になって、EUの加盟各国が策定した「適正農業規範」が守られていることを取引条件とする商業上の検査や監査が行われるようになってからです。食のグローバル企業がサプライヤーに要求する「食品安全のための自己管理プログラム」をGAPとして導入したことが始まりなので、日本では、GAPと言えば「生産段階での食の安全・安心への取組み」とされているのです。

GAPは持続的農業と地域振興に寄与する

 FAOのGAP概念では、GAPの手法は、①総合的病害虫管理(IPM)、②総合的作物管理(ICM)、③環境保全型農業などと規定しています。GAPは「自然・資源を保護し、経済と農業を持続できるようにしながら、環境汚染を引き起こす危険性を最小限に抑える行為である」というイングランド版のGAP規範の規定を実現する手法です。

さらに、GAPプログラムの目的として4項目掲げています。

①安全性と品質:安全で高品質の農産物を作り、収益を上げること
②環境の持続性:豊かな自然を、更に強化し、その維持に努めること
③採算性:資源の可能な開発を行い、生産者の生計を確立すること
④社会的受容性:文化的・社会的な受容性に見合った農業を行うこと

そして、GAPプログラムの最終成果として、「GAPの実施は、持続的農業と地域振興に寄与するものでなければならない」と言っています。

GAPのG(Good)の3原則

 GAPの「G」はGoodの略で「良い」ということであり、「良い農業」のことです。良い農業ではない「不適切な農業」「悪い農業」はBAPであり、「B」はBadで悪いということです。現状がBAPの場合には、GAPが求められるのです。問題は、何が良くて、何が悪いのか、それを明らかにしなければGAPの推進はできません。GAPの三原則は、

① 法令や科学に基づいていること
 法令違反ではどう見てもいただけません。理屈が合わないやり方ではなく、科学的でなければならないことは誰も異論はないでしょう。農林水産省の農業生産工程管理(GAP)の共通基盤に関するガイドラインは、農業の取組事項とそれに関連する法令等をまとめたもので、科学的知見に基づいて実施することを求めています。

② 予防原則を取っていること
 重大な或いは不可逆的な損害の恐れがあるときには、科学的にその証拠や因果関係が提示されていない段階でも、リスクを評価して予防的に対策を採らなければなりません。1992年にブラジルで開催された国連環境開発会議で宣言された「リオ宣言」の第15条で規定されています。コンプライアンスだけではGAPは成立しません。GAPは自らの農場のリスク評価からスタートします。備えあれば患いなしということで、予め予防対策をするから安全性が高まり、安心につながるということなのです。 そして最後に、

③ 汚染者負担原則を取っていること
 環境破壊は、その発生源が優先して改善されるべきであり、汚染者負担の原則であることが重要です。例えば、湖が汚れたからといって、他のきれいな河川から導水して湖の水の半分以上を薄めれば、汚染率が半分になりますが、こういうのは相当頭が悪い考え方であり、本当の解決にはなりません。そうではなく、流入する河川を上流にたどってみたら、汚染源はその流域の人達の農薬であり肥料であるということが判ったとすれば、そこにメスを入れなければなりません。「これまでの悪い習慣を止めること」、これが汚染者負担の原則です。原因を作った人達に責任があります。食品事故を起こした場合でも、そのような考え方になります。

連載 その7

EUには農業者が守るべき『GAP規範』がある

 環境破壊は発生源が優先して改善されるべきであり「汚染者負担の原則」でなければならないということについて、EU、特にイギリスでは 1985 年頃から、法令に従うとともに農業における倫理的な取組みとしての Code of Good Agricultural Practices(「適正農業規範」)を出版しています。1998 年には「農薬の適正使用規範」「水質保全規範」「土壌保全規範」(Green Code、Water Code、Soil Code)の3分冊で発行され、イギリスの農業者は、当時からこの「GAP 規範」に従うことが義務付けられていました。2009 年になると「水・土壌・大気の保護」という 1 冊にまとめられ、21 世紀に期待される「健全な農場管理」(GAP)の規範として刊行されました。

 ここで述べる「GAP 規範」 は、「農業者が、シンプルに、容易に、法令を解釈できるものであり、環境汚染を避ける効果的なやり方に役立つものである」と説明されており、「GAP 即ち、適正農業管理というのは自然や資源を保護し、経済と農業を持続できるようにしながら、環境汚染を引き起こす危険性を最小限に抑える行為である」と定義づけられています。

 具体的に「GAP 規範」には、現代農業では、①工業製品である化学物質や高性能の機械を使っていること、②環境を汚染するかもしれない物質の使用に関して農業者は責任を持たなければならないこと、③それらの使用者責任を果たすためには、環境汚染の原因と結果について理解すること、④それらの物質を適正に取り扱う専門的な技術を持たなければならないこと、と言っています。また、単に理解するだけではなく、⑤どこで、何を、どのように、それらを操作・使用すれば良いのか、さらには、⑥緊急事態になった場合を想定して、その対応策まで身につけていなければならない、と記述されています。「GAP 規範」には、上に記した①から⑥の際に農業者が選択できる行動について「具体的にこうすべき」というグッド・プラクティス「適切な実践」について具体的に書かれています。

 日本生産者 GAP 協会では、イギリス政府の環境・食料・農村地域省(DEFRA)の許可を得て、最新版の「イングランド GAP 規範」を日本語に翻訳して出版しました。GAP を理解するための必須の書です。農業政策を担当する人や農業者ばかりではなく、食や農に関しては消費者としての立場の方にも是非ご一読をお薦めします。

農業の品質を高める GAP

 農林水産省が、日本農業の重要な政策課題として GAPを掲げてから 10 年も経っているのに、肝心の農業関係者でさえ「GAP という言葉はよく聞くが、それがどういうものなのか分からない」という声が多くきかれます。その理由は、日本にはこれまで、日本で使える「GAP 規範」がなかったからです。

 「GAPが分らない担当者が、GAP を知らない農業者に、GAP を説明している」という状態だとしたら、そもそも GAP(21 世紀に期待される健全な農場管理)はスタートしませんし、当然「GAP 規範」の目的も達成できません。それでも、無理に推進しようとすれば、GAP は形骸化したものになり、農業政策も、農業の実践も、ねじ曲がったものになってしまいます。「行政がやらないのなら自分達で GAP 規範を作らなければ」と、日本生産者 GAP 協会が、日本中の有志に呼びかけて、日本の気候風土、風俗習慣や、日本の農業実態、日本の法律や慣習に合わせた「日本 GAP 規範 ver.1.0」を策定し、発行しました。この規範に基づいて各都道府県が、さらに地域に合った「より実践的な「県版 GAP 規範」を作り始めている」というのが日本の GAP 推進の実態です。

 ここでいう「県版 GAP 規範」は、都道府県の「県版 GAP 規準(チェックリスト)」ではありません。「規範」は農業のあるべき姿のこと、「基準」は農業者の実践を評価する尺度のことです。この両者は「目的」と「手段」の関係のように密接ですが、その概念は全く異なるものなのです。日本では、この区別がついていないということも、日本で GAP の意味が理解されておらず、GAPが普及していないことの原因の一つでもあります。

 ちなみに、一般にも知られている「GAP 認証制度」がありますが、ここで用いられる「GAP 規準(チェックリスト)」は、農業者の実践を評価するための尺度です。農業を評価する側、言い換えれば、ある農業実践を要求する側の尺度であり、農業者は、要求される一定の規準を満たさなければ見返りが拒否されるものと言えます。即ち、GAP に沿った農業が行われていなければ、適正な農産物とはみなされず、農産物を扱って貰えないということになります。グローバルな経済取引では GAP 認証が必須の取引要件になりつつあります。また、持続可能な農業を推進するためのクロスコンプライアンス政策においても、適正な農業であるかどうか査察によって検証されるのです。

消費者の理解が GAP を促進する

 農業生産に関係する様々な人々から「消費者の GAP 理解を促進すべきである」という声が出ていますが、その場合の多くは、「GAP で頑張った農産物を高く買ってもらいたい」という意味合いが込められているようです。

 しかし、世界的に求められる GAP 本来の意味は、農業の持続可能性への取組みや、食の安全の確保および事業における人権保護などの観点からの農業の適切な行為(グッド・プラクティス)のことです。農産物の商品としての差別化や農業経営体の評価ではなく、農業そのものが健全な産業として消費者から支持されることが GAP の究極の目的なのです。その意味で、消費者の皆さんには、農業由来の環境汚染やグローバルな経済活動で起こりがちな食品事故などの実態や因果関係などを理解していただき、それらの課題解決に向けた農業者の努力を応援して頂きたいと思います。

 EU における事実上の GAP の義務化と個々の農業者への補助金支払い(クロスコンプライアンスという補助金政策)は、「持続可能な社会づくり」に目覚めた消費者の支持によって成り立つ環境支払政策なのです。

消費者に知って頂きたい GAP の取組み「どの点が、なぜ、どの程度問題なのか」を知る

 消費者の皆さんのGAPに対する理解が進みますように、農業関係者の実際のGAPへの取組みについてお話します。私は毎年、長崎県の普及員や農協の営農指導員の人達とGAPの勉強会を実施しています。全ての農業者にGAPを伝達するためには、農業指導のプロフェッショナルである県の普及指導員やJAの営農指導員が「GAP指導者」とならなければなりません。これらの営農指導のプロが、日頃の活動の中で農業者のGAP理解を促進し、実践的なトレーニングを繰り返しながら、複雑で多岐にわたる農業実践の改善を段階的に進めて行くことが必要です。

 GAPの指導は、農家に行って「その農場のGAP度を評価する」ことから始めます。しかし、どこの生産者でも、これまでもずっと良い農業を目指して、しかも普及指導員やJA指導員の指導の下に営農してきているのですから、「GAPの評価」と訪ねて行って、いきなり「法令違反だ」とか、「リスク管理がなっていない」などと「ダメ出し」することは良くないことです。

 GAP指導者が農場評価を行う上での基本的な考え方としては、「農業生産者は今までも今もGAPの実践者である」という認識に立って、農場管理の評価に当たることが大切です。

 長年の農業経験で、心情的にはGAP、つまり適切な農業の実践が行われてはいますが、現状をつぶさに見れば、科学の進歩や法律の改正などもあり、経済的にも社会的にも価値観の変化が起こることによって、これまで実施していた時にはGAP(適切な行為)だったことが、今はBAP(不適切な行為)になっているかもしれないのです。

 農薬取締法や食品衛生法などの改正では、法律が施行される前日と施行された当日で、時には「適切」と「不適切」が分かれてしまいます。法令違反ばかりではなく、倫理的な問題でも同じように、社会の価値観が変わって、その対応に迫られることがあります。その場合に指導者は、それらの事実を農業者に丁寧に伝えることが必要です。

 農業者にとって、GAPの考え方で大切なことは、「不適切だから直す」「悪いことは改善する」ということです。それには当事者にそれらに関する正しい認識がなければなりません。そのために「指導者がどうすべきなのか」ということは、「どこが問題なのか」「なぜ問題なのか」「どの程度問題なのか」、そして「どうすれば良いのか」ということを教えてあげることなのです。「持続可能な社会づくり」という価値観で「適切な農業(GAP)を指導する人材の育成」が急務になっています。

連載 その8

GAPは主体的に行うもの

 GAP指導者は、先ず初めに、農業者が本来は自ら行うべき「リスク評価」を実践して見せることが必要です。リスク評価とは、危険なものがどこにあるかを発見して、その危険性の内容を分析し、その危険性に対応する具体的な内容を判断することが必要です。

 しかし、実際のリスク評価の作業はなかなか厄介な仕事です。環境汚染も、食品汚染も、人間の健康危害も、そのリスク要因は目に見えないからです。これまでに習慣になっている経験的な農業管理からは単純には見つけることができません。場合によっては、新しい知見の下で一定のトレーニングを積んだ専門家が必要になります。

 また、このリスク評価によるGAP指導には一定の手法があります。「だめなものはだめ」とだけ言ったら、農業者はこれまでの農業実践の拠り所を失ってしまうかもしれません。そうならないために、GAPの指導においては、①「どこがどのように問題なのか」、②「それはどのような理由で問題なのか」、現場で発見した具体的な事実に関して、客観的な証拠や、明確な判断根拠を示して農業者本人に納得してもらうことがポイントです。そして③「どう対処するか」を本人に選択してもらうことで、農業者の主体的なGAPに導くことが可能になります。

 指導の際に重箱の隅をつつくようなやり方では、農業者の信頼が得られない恐れがあります。しかし一方で、重大なリスク要因は真剣に受け止めてもらわなければなりませんから、指導者の率直な物言いで、農業者本人が厳粛に受け止めるよう促すことが重要です。このようなことから私達は、農場評価の知識と農業者を指導する力量を持つ人材を育成する研修を、都道府県の普及指導員を対象に「GAP指導者養成講座」で行っています。

GAP指導は農業者目線で

 GAPの実践は、現場に行かなければ勉強になりません。現場に行ってその農場のリスクを発見し、分析し、評価・判定し、まとめた評価表を持ち寄って参加者が皆で議論をします。GAPの指導内容が指導者によって温度差があると困るので、ここで農場の評価内容を統一します。議論の結果、参加者全員の意見が一致し、見解が統一されたところで、次のステップに移行します。GAP指導者としてのレベルを更に上げていくために、グループによる農場評価を繰り返しておこない、単独で評価作業ができるまで農場評価のトレーニングを行います。このような一定のトレーニングを受けた指導者について「単独で農場のGAP評価ができるか」評価員の資格試験を行っています。

 GAPの農場評価は「農家を育てる」ことが目標ですが、GAP評価員試験は「GAP指導者を育てる」ことが目的です。これは(社)日本生産者GAP協会が行っているグリーンハーベスター(GH)農場評価制度のGAP教育活動として実施されています。

 GAP指導者、つまりGH農場評価員は、GAPの指導を行う農場で、全ての農業活動に関して、いつ、どこで、誰が、何を、どうするのかということを聞き出せなければいけません。客観的な事実からだけから問題点を発見し、それを分析・評価し、判定します。評価員は、確かな証拠に基づいてのみ、その農場の改善すべき課題を具体的に抽出し、経営全体の総合的なレベルを判定し、そしてその農場に改善を勧めるのです。

 指導した結果は、必ずもう1回見直す必要があります。ここで、やっと農家の本当の信頼が得られます。「私のために言ってくれているのだ」と思ってもらえたら指導者として合格です。GAP指導者は「あなたの農業はだめだ」という烙印を押すのではなく、「より良い経営のためにはどうすれば良いのか、一緒に改善して行きましょう」という農家の目線でその問題点を捉え、改善に導くのです。

農場評価は動作の分析から

  農場評価・GAP指導者育成の過程で、私達が特に主張しているのは、「行動よりも動作を見ること」と言うことです。例えば「あなたは農薬を適切に使用していますか」と聞けば「はい、私は農薬をちゃんと選んでいます」「はい、規定通りに希釈しています」「はい、散布もちゃんとしています」と、全てが「はい、ちゃんとしています」と、正しい行動をしているという答えが返ってきます。しかし、このように、行動の結果を聞くことだけでは、実際にどのように行っているのかという実態は掴めないのです。「はい、ちゃんとしています」という判断は、農業者自身による判断なのです。

 農場評価員が確認すべきことは「農業者の行動を裏付ける実際の動作」です。「この圃場は、農薬が使用されましたか」「それはいつですか」「何という農薬を使用しましたか」「誰が作業をしましたか」「どの散布機を使いましたか」「農薬の希釈はどこで行いましたか」「計量器はどれを使いましたか」「どのように行いましたか」などと訊ねていくと、数台あるうちの実際に使用した散布機が判らなくなったり、希釈用の計量器が実際にはなかったり、傾斜のある畦で作業を行っていたり、防護装備を着用していなかったり・・・と、「そのやり方では正確な計量ができない」とか「人や環境の安全が確保されていない」とか、一つ一つの動作、また一連の動作を確認して初めて分かることが多いのです。

 GAPの「P」は「プラクティス」の略で、行為、実行、実施、実践、経験、通例、習慣などの意味を持っています。農業の一連の作業は、一つ一つの動作で組み立てられていますから、その具体的な「動作」を確認して初めて「プラクティスの実態」が分かるのです。それぞれの農業者が「自分はちゃんと行動している」と考えていても、現場で確認すると、具体的な行動の違いが出てくるものです。そこまで農場の行為を掘り下げていかないと、目に見えないリスクには対処できないのです。ですから実際の農場評価では「具体的な動作をしっかり確認すること」が最も肝心な仕事なのです。ですから、GAP普及のためには、それができるような人材を育てることが必要なのです。

GAPは農業のマイナスの外部経済効果を無くす

 最後に、戦後において、世の中に大きな移り変わりがありました。人類にとっての農業の在り方も単に今までの延長線上とは違うものになってきたのかもしれません。

 20世紀後半の化学肥料と化学農薬の普及や、農作業の機械化、大規模灌漑システムの整備、新品種の開発・導入、バイオテクノロジーの進展などによって、農業の生産性はそれ以前とは比べものにならないほどの飛躍的な進歩を遂げてきました。1950年に約25億人であった地球の人口が、今や73億人とも言われるほどまでに増加しています。人類の地球におけるこの上ない繁栄の結果なのかもしれません。

 しかし、その反面で、化学肥料の多投による土壌肥沃度の低下や硝酸態窒素による地下水の汚染、農薬の多投による水系や土壌の汚染や、農産物の基準値を超えた農薬の残留など、農業由来の環境破壊や健康被害をもたらしているのです。

 食・農・環境に関わる「環境・社会・経済の変化」は、「期待される良い農業と政策の変遷」の図で示しましたような経過でダイナミックに変化してきました。農業への期待も「量の確保」から「質の確保」「健全性の確保」「食品安全・環境保全」へと農業への変化が期待されてきましたが、21世紀になり、これまでとは全く異なる概念としての「持続可能な農業」へと価値観が変化してきました。

 今問われている「GAPのあるべき姿」というものは、農業の近代化に伴う「マイナスの外部経済効果」を無くすという視点から始まりました。農業者は「一生懸命に働いてお金を稼ごう」と思っています。農業は、「良い農産物を作り」「それを消費者に食べて貰い」「その対価としてお金を貰う」という経済活動なのですが、その目的とは異なる枠組みで、予定していないことが起こり始めました。

 農業の外部効果にはプラスとマイナスの両面があります。プラスの外部効果は「地球上の物質循環に貢献するから環境が良くなる」とか、「周辺の景観が良くなる」「樹木や草がなくなってきれいだ」とかいうものがあります。日本では「水田があるから、ダムの役割を果たして治水に役立っている」とか、「土砂崩れを防止している」とか、「河の流れをゆるやかにする」などが指摘されていますが、それは農業の直接的な目標ではありません。しかし、人間にとってプラスになる外部効果であることは確かです。

 別の一面では、「農業によって環境が悪化する」とか、「昔と比べると河川や湖沼が極端に汚くなった」とか、「硝酸汚染で地下水が飲めなくなった」とか、目に見えないところで環境汚染が進むこともマイナスの外部効果です。食料の安定供給を約束してくれる化学肥料や農薬などの化学物質も、それらを使うことによって健康への被害が出れば、それもマイナスの外部効果になります。プラスの外部効果は大変良いことですが、健康被害、環境汚染、持続性への障害などのマイナスの外部効果は、今や人類にとって重大な問題になってきています。

 このような環境被害と、その結果としての健康被害を減らすために、また環境の持続性を維持するために生まれたのがGAP(適正農業管理)なのです。

 また、農業は、農山漁村地域のなかで林業や水産業と密接なかかわりをもっており、農林水産業の重要な基盤である農地(水田、畑地など)と、森林と海は、相互に密接にかかわりを持ちながら、水や大気などの物質の大循環に貢献しており、私達の住む社会にプラスの多面的な機能を発揮すると同時に、汚染を拡散させるマイナスの効果も無視できません。

図 農業・農村の多面的機能(農林水産省ホームページより)

GAPの意義と消費者の理解

  「食品安全さえやっておけば消費者に信頼される」と思っていても、結果として、環境汚染への対応が悪く、それが見つかったり、そのことが原因で自身の農業に不都合が起こったりするような「見せ掛けの安全対策」では農業の持続性は担保できません。結局、消費者はそういう適切でない農業を選ばなくなるのです。適切な農業を実践するためには、消費者との理解を深め、信頼を得ていくことが必要であると思っています。そのことは、何も消費者と生産者の間だけの話ではなく、国際的な社会の要望であり、世界の要望なのです。

 EUでは、21世紀のあるべき政策として「アジェンダ2000」を計画し、社会的・経済的対応を提案し、「農業のあるべき姿としての「GAP規範」を策定した」と考えることができます。その規範を遵守した「GAPの実践」こそが、21世紀の「農業実践プログラム」です。そして、農業実践プログラムが適正に稼働すれば、持続可能な社会づくりに貢献することになるのです。農業が持続するということは、農業は地域に密着していますから、取りも直さず、GAPは地域振興に貢献するものになるのです。

 このように「本来のGAP」を目指すためには、消費者の理解は欠かすことができません。消費者が農業を支援しない限り、GAPは確立できません。またGAPは法律で縛るだけではだめです。「法律で縛れば縛るほど、逃げ道ができる」ということもありますし、逃げ道を考えずとも、法律では農業に係るもの全てを網羅することは不可能です。

 そうすると、最後はお互いの信頼関係になるんですね。どうやって信頼を構築していくのかということですね。信頼される行動、それらの行動や動作が保証されるような関係性というものをつくっていくことが大切になります。

 「安全」というものは、トータルで、総合力で担保しなければならないということをご理解いただくとともに、農業、農家との接点をお創り頂くことをお願いして講演を終らせて頂きます。

 ご清聴有難うございました。

GAP普及ニュースNo.40~No.48 2014/10~2016/3